
尾瀬のふもと檜枝岐村での雪のある生活|まだ知らない尾瀬ストーリー#15
HagiwaraMai
- 2026年01月03日
“尾瀬”と聞くと思い描く景色はどんなものでしょうか?
「湿原と山と木道」という景色を思い浮かべる方が多いかもしれません。尾瀬はその景色があまりにも有名で、その成り立ちや歴史、その周辺地域のこと、そこに関わる人々のことはほとんど知られていません。じつは尾瀬には感動的なストーリーがいくつもあるのです。
尾瀬をこよなく愛するOze Nature Interpreterの私が、尾瀬のさまざまなストーリーをお届けします!
雪と共に生きる、たくましい村の人々のストーリー
私が住む尾瀬のふもとの檜枝岐村は、”特別豪雪地帯”。この特別豪雪地帯というのは「特に積雪量が多く、積雪により住民の生活に著しい支障が生ずるおそれのある地域(内閣府:豪雪地帯対策の概要より)」ということらしい。
そんな檜枝岐村にしっかりと雪が降り始めたのは12月上旬。


朝起きてカーテンを開けると一面の銀世界。この日は気温もマイナス7度で、暖房をつけても部屋が全然暖まらなかった。

“わぁーすごいなぁ……”と思っていると、村の人々は“やっと降ったかぁ”といったようすで、至るところでせっせと除雪作業を行なっていた。


冬の檜枝岐村の生活を支える除雪車に乗って作業をする”除雪隊”の方々も、まだ私たちがスヤスヤと眠っている早朝から道路の除雪作業を行なってくれている。この除雪隊の方々が作業をしてくれるお陰もあって、村の冬は普通に生活できている。

一番驚いたことは、都会ではきっとニュースになるであろう積雪量があっても、公共交通機関も運送業も普通に機能していること。いまのところどんなに雪が降っても、某大手通販企業の配送予定日には荷物がきちんと家に届いている。そして、村の唯一の公共交通機関である会津バスの運行も、どんなに雪が降っても行なわれている。

この雪国のたくましさは雪の降らない地域で生まれ育ち、今年の3月まで東京で暮らしていた私にとっては感動を覚えるほど。
最近、自分のインプットの意味も含め、檜枝岐村の方々にお話を聞いたり、檜枝岐村の本を読んだりして村のことを勉強させていただいている。そのお話や本の中でも、この山深く雪深い檜枝岐村で生きてきた人々のたくましさを感じる。
昔は檜枝岐村の中でも“アイ”(村の言葉で表層雪崩のこと)で家が潰されたり、亡くなった人もいたという。除雪車も除雪機もなかった時代、雪深いこの村で冬にどうやって生活していたんだろう……。先人の方々がどんな苦労をしていたのか、そしていま笑顔で話してくれている村の人たちがどんなことを体験してきたのか。きっと私が想像もできないさまざまな苦労があったんじゃないかと、この檜枝岐村の雪景色を見て考えたりする。

だからこそ、もっともっと檜枝岐村のことを学んで村の人たちが体験してきたことを知りたい。きっとすべての地域がそうであるように、この檜枝岐村にもさまざまなことを乗り越え、たくましく生きてきた人たちがいるから。
どうか、私の活動がきっかけとなって、その一人ひとりのストーリーが少しでも目に触れられるようになってほしい。じつは、これからnoteの記事で、各村民の方々のストーリーをアップしていく予定。これは尾瀬を支えてくれている檜枝岐村の人々の顔が見えるようになることで、より深く檜枝岐村のことを知って、尾瀬とその周辺地域のことを愛していただこうという狙いがある。
人は知らなければ行きたいとも思わないし、愛する場所でなければ守りたいとも思えない、と思っているから。
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PROFILE
ランドネ / Oze Nature Interpreter
HagiwaraMai
尾瀬高校自然環境科の卒業生であり、尾瀬のビジターセンターや山小屋、ガイド団体で働いた経歴をもつ。現在は、尾瀬をこよなく愛するOze Nature Interpreterとして尾瀬とその周辺地域の知られざるストーリーを伝える活動をしている。
尾瀬高校自然環境科の卒業生であり、尾瀬のビジターセンターや山小屋、ガイド団体で働いた経歴をもつ。現在は、尾瀬をこよなく愛するOze Nature Interpreterとして尾瀬とその周辺地域の知られざるストーリーを伝える活動をしている。



















