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心が浄化される故郷|The NEXT STAGE 新たな地平へ 宮里優作

変化と進化を繰り返しながら、その先に広がる“新たな地平”に挑む宮里優作プロのインサイドストーリー。
オフの合宿地に自身の生まれ故郷が選ばれるのは毎年のこと。現在の優作を育んだ沖縄への思いをたずねた。

1980年生まれ、沖縄県出身。2003年にツアープロデビュー。2013年のツアー最終戦「ゴルフ日本シリーズJTカップ」で初優勝を遂げる。2017年にはシーズン4勝を挙げて賞金王のタイトルを獲得。2年間の欧州ツアー(現DPワールドツアー)挑戦を経て、2020年から再び国内ツアーを主戦場にしている。www.yusakumiyazato.com[大和ハウス工業所属]

沖縄にいたのは15歳までなのに

今回の写真は、1月末から2月上旬にかけて実施された第一次沖縄合宿の様子だ。場所は、2017年に日本プロゴルフ選手権が行われた「かねひで喜瀬カントリークラブ」。賞金王を獲得したその年、前戦の「中日クラウンズ」に続いて連勝したコースでもある。

さておき、今年も合宿地に沖縄を選んだことに関して、疑問を抱く余地はなかった。オフシーズン中の国内ではどこよりも温暖な土地という以上に、優作の故郷であることを知っているからだ。それゆえ、これまで一度も沖縄についてたずねてこなかった。そこで……。

「違う時間の中で暮らしているんじゃないかと思うくらい、島の人は見た目からして柔らかいけれど、実はハートが頑丈で、団結力が強い。県人会はどこにでもありますからね」

優作が語る県民性は、兄の聖志、妹の藍とともに、宮里三兄妹のイメージにだぶって聞こえた。

「芯の強さは、沖縄特有の歴史が培ったものかもしれませんね。戦争と平和についても、オジイやオバアを通じて学ぶ機会が多かったです。よく覚えているのは、沖縄の文化祭の演目だった『丘の一本松』」

『丘の一本松』は、大阪の庶民生活と親子の情愛を描いた『丘の一本杉』を、土地の言葉で演じる沖縄芝居に改めた作品らしい。

「その息子役、僕も聖志も演じました。今でも入り方を記憶しています。その芝居をオジイやオバアが観に来る。沖縄の古い方言は、親父世代じゃないとわからないんですけれど、よく聞かされたのは『ゆぬっちゅるないん』。いろんな意味があるみたいですが、僕に染み込んでいるのは『誰もが同じ人間だから何でもできる』でした。この言葉は今でも僕の指針のようになっています。

言うまでもなく、プロゴルファーとなった現在の優作を育んだのも、少年時代を過ごした沖縄だった。あるいは、生家をベースにゴルフを指導してくれた父親の優氏の存在が大きかったと言うべきか。

「小中学生がラウンドできるゴルフ場がなかったんですね。それを見かねた親父が、実家がある国頭郡のベルビーチゴルフクラブに掛け合って、9ホール目をしたら残りのハーフを回って良いという仕組みをつくってくれたんです。それで沖縄北部のジュニアが集まるようになりました。比嘉拓也はベルビーチでアルバイトをしていたので、特に親近感がある後輩です。

練習環境の整備は、親父が積極的にやってくれました。今はできませんが、普段は自宅のそばの砂浜や野球場で打っていましたよ。野球場ではライト方向に。これが海まで届いちゃったので、ある時に某団体から注意されて、暗くなっても回収できるようボールを赤く塗りました。人口2千人の小さな村の昔話ですね」

話題は、これまた実家近くの施設に移った。

沖縄でもう一度トーナメントを

「全国的に有名になった村の出身者を称えるためにつくったらしい、東村文化・スポーツ記念館というのがあるんですね。紹介されているのは、三線で人間国宝になった島袋正雄さんと、ウエイトリフティングで二度オリンピック代表になった吉本久也さん。吉本さんは、親父が陸上を教えていた時、めちゃくちゃ運動神経が良い太った子として発掘した人材らしいんですよ。それで砲丸をやらせたら全国3位になったんですって」

それはそれとして、実家近くの施設なら宮里家を放っておかないはずでは?

「で、宮里三兄妹コーナーもあります。当初は展示するのにふさわしそうなものを、何というか勝手に使っていたみたいで。まぁ地元なので良いんですけれど。現在は親戚の子が運営をやっているので、だいぶまともになったみたいです」

宮里三兄妹といえば、中学を出ると他府県の高校に進学した共通の経歴を思い出す。3歳上の聖志は大阪桐蔭。5歳下の藍は宮城県の東北高校。次男の優作は、兄と同じ大阪桐蔭に進むわけだが、その時の決意とはどんなものだったのだろう。

「親父と向き合って、じっくり話し合いました。プロになるなら沖縄を出ろ。ならないなら地元の高校に通えと。中学3年生なりに相当の覚悟で大阪桐蔭への進学を決めたのは、中学時代の日本ジュニア優勝が大きな要因になりました。大会のパンフレットを見たら、過去に活躍した選手に丸山茂樹さんなど有名プロの名前があったので、ならば自分もいけるんじゃないかと。それで親父に、高い目標を持ち続けるので大阪に行かせてくれと言いました」

日本ジュニアの詳細を記しておく。優作が優勝したのは、日本ゴルフ協会が主催する「1994年度 日本ジュニアゴルフ選手権競技」の男子12歳〜14歳の部。ちなみに翌年度も、同スコア1位のプレーオフまで勝ち残っている。

「大阪桐蔭に入学してすぐに困ったことが起きました。それまでの3分の1しか練習できず、成績が落ちてしまったんです。それで先生に直談判して、練習量を増やしてもらいました。練習だけで言えば、15歳までの沖縄は最高だったかもしれません」

その後は東北福祉大学に進学。学生時代の華々しい成績を引っ提げて、2003年にツアープロデビュー。そうして今年、故郷を離れて30年を迎える。

「沖縄にいたのは15歳までなのに、合宿であっても戻れば気持ちがリセットされるというか、原点に戻ります。心が浄化されるのかな」

恩返しを考えたりとか?

「ひとまず、地元へのふるさと納税はしていますが、やっぱり沖縄でもう一度トーナメントをやりたいですね。僕が子供の頃には大京オープンが開催されていて、ジャンボ(尾崎)さんを間近で見られたんです。とくにジュニアは、プロのプレーに大きな刺激を受けます。なのに離島の子はプロの試合に触れる機会が少ない。一方でPGMがプロアマ大会を開催すると、大勢の人が駆けつけてくれる。高いレベルの試合を観たい意欲が強い土地なので、将来的にトーナメントを誘致できるよう協力していきたいです。選手にとっても地元開催は格別ですから」

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EVEN 編集部

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スタイリッシュでアスリートなゴルファーのためにつくられたマガジン。最旬のゴルフファッション、ギア、レッスン、海外ゴルフトリップまで、独自目線でゴルフの魅力をお届け。

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