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【Ride on the WILDSIDE】全農・全スキーの男、石橋仁に会いにゆく

石橋仁。テレマークスキーヤー。バックカントリーの専門誌で連載をもち、業界内外から多くのリスペクトを受けながら、プロスキーヤーではないと自らを語る。ホーボージュン。アウトドアライター。アウトドア媒体で多数の連載をもち、業界内外から笑いを取りながら、海へ山へと旅を続けるアマチュアスノーボーダー。湘南のおじさんが、帯広のおじさんを訪ねた旅模様を、特別企画の書き下ろしでお届けしよう。

編集◉フィールドライフ編集部
文◉ホーボージュン Text by HOBO JUN
写真◉原田賢能 Photo by Ken-nou HARADA

「いつか会いたい男リスト」の上位にいる人

レンタカーで借りたプリウスは終始エコモードのまま。エンジン音はほとんど聞こえず、サイドバイザーに当たる風切り音だけが、静かな旅の伴奏になっていた。視界には広大な雪原が広がり、3月とは思えないほど濃い青空がどこまでも続いている。ところどころに背の高いサイロが見え、この雪の下に広がっているのが牧草地であることを教えてくれた。

目の前の道はひたすら真っ直ぐだった。それはもうひたすらに、ひたすらに真っ直ぐだ。帯広市街を抜けてから約30km、僕は一度もハンドルを切っていない。ここまで1台の対向車ともすれ違わず、追い越すこともなかった。まるでアラスカンハイウェイを走っているような気持ちになった。

やがて視界の先に日高山脈の白く猛々しい山塊が迫ってきた。思わず「ヒャッホウ!」と声を上げる。

「ど、どうしたの、急に」

助手席の朝比奈編集長がびっくりしてこちらを見る。

「だって見てみろよ、この光景! この広がり! これぞ北海道、これぞロマンだろう!」

いまどき「ロマン」なんて言葉は気恥ずかしいが、それでも口にせずにはいられなかった。なんだかもう胸が高鳴って仕方がない。

この高揚はなにもこの風景のせいだけではない。今日はこれから、ずっと会ってみたかった人物に会いに行くのだ。

石橋仁。僕の「いつか会いたい男リスト」の上位に10年以上居座り続けている男だった。

スキールームでお気に入りの板にワックスを入れる石橋仁。ここではスキーはたんなるスポーツ用品ではなく、生活のためのライフツールなのだ。

いったいどんな人が書いているのだろう?

石橋仁の存在を知ったのは、2010年代に数多くリリースされたバックカントリーDVDだった。エクストリームスキーヤーやクレイジーなスノーボーダーが居並ぶなかで、ひときわ強い存在感を放っていたのが彼だった。彼はテレマークスキーの使い手で、踵が浮く独特のスタイルで深い雪のなかをリズミカルに、そして力強く滑り降りてくる。

そのテレマーク姿にはえもいわれぬ色気があった。べつになまめかしいわけではない。なんというか、とてもオトコらしいのだ。いまどき「オトコらしい」なんていうと怒られるんだろうが、右、左、右、左と深く膝を折りながらターンする姿は、まるで武士が右へ左へと袈裟切りをしているようようにみえる。

しかしそこに荒々しさは微塵もない。ターンからターンへのつなぎ、そして地形に沿った強弱のリズムは水が流れるようにスムーズで、剣の達人が悪者どもを切り裂く大立ち回りを目の前で見ているようだった。

そして僕を惹きつけたのはその滑りだけではない。彼の文章だった。

バックカントリー専門誌『Fall Line』で10年以上続けている彼の紀行文は、ローカルとバムライフをテーマに日本各地をテレマークスキーでめぐるものだ。そこに綴られる文章はユーモアとウィットに富み、読者を笑わせ、ときにしみじみと胸に沁みる。

とりわけ印象的だったのは、雪山の光や風、旅先の風景を切り取る描写の美しさだった。

「いったいどんな人が書いているんだろう?」

それがプロの作家ではなく、十勝平野で農業を営むおじさんだということが、僕の興味を惹きつけていたのだ。

その話を朝比奈編集長にすると、以前から彼と親交を持っていた編集長は「じゃあ会いに行こうよ」と即座に話をまとめ、段取りを付けてくれた。

「おもしろいおじさんが、おもしろいおじさんに会いに行く。それだけでおもしろそうじゃない?」

こうして僕らは、十勝の大地を走っていたのである。

自宅からスキーを履いたままで裏山のフィールドへアプローチできる。仁さんが選びに選んだ絶好の立地。自宅の前には広大な畑が広がり、いまはまだ雪を被っている。
いつも仁さんが滑っているという裏山の斜面に案内して貰った。うららかな春の風を受けながら尾根を登っていく。

ガレージまでのクロスカントリー

「はじめまして」

十勝平野の端、山の裾にポツンと建つ一軒家に到着すると、大きな木の扉が開き石橋仁が姿を現した。

写真や映像で見た通りの無骨で土の匂いのする男だった。目に力があり、きらきらと輝いている。柔らかな笑顔にこちらの緊張がすっと解けた。

「ああ、どうもホーボーさん。朝比奈さんからおもしろい人が来るって聞いてましたよ」

飾り気のない言葉と佇まい。その自然さには都会の垢のようなものが一切感じられない。

ひとしきり挨拶を交わしたあと「少し準備があるので」と彼はガレージへ向かった。僕は「いっしょに行っていいですか?」と慌ててあとを追う。敷地内には巨大な格納庫のような建物があり、すでにただならぬ雰囲気を漂わせていたのだ。

「じゃあ、これを履いてくださいな」

そう言って渡されたのは細長いクロスカントリースキーだった。

「えっ……? スキーで行くんですか?」

「裏庭の雪が深いんで、ツボ足だともぐっちゃうんですよね」

母屋からガレージまではわずか30mほど。僕の暮らす街の感覚で言えば電信柱1本ほどの距離だ。そんな短い移動にスキーを使うことに、僕は「むむむむ……」と唸ってしまった。ちょっとしたカルチャーショックだ。なんだか北極圏のイヌイットの村にでも来てしまったような驚きがあった。ここではスキーはレジャーやスポーツではない。ライフスタイルというのとも違う。それなしでは暮らしていけないライフツールなのだ。

いつも滑っている裏山へ

ガレージで作業をしながら話をした。話題は自然と雪のことになる。

2024~25年は極端に雪が少ないシーズンだった。12月の降り出しは早かったものの、クリスマス寒波は空振り。本州では正月のスキー客が激減した。北海道でも日本海側のキロロやニセコは順調に降っていたが、旭岳や十勝は例年に比べて積雪量が少なく、気温の上昇も早くて融雪が進んでいた。僕らが十勝を訪れたのはまだ3月上旬だったが、野山の様相はまるでゴールデンウィークみたいな感じだった。

「せっかく来てもらって申し訳ないんだけど、見てのとおりです。でもまぁ、あるとこにはあるんで、今日はそこに案内しますよ」

「ありがとうございます!」

「裏山の小さな斜面なんですけど、それじゃあつまんないですかね?」

「いやいや、俺は逆にそういうとこに行きたかったんですよ」

今回僕はスティープで派手な斜面でなく、彼の暮らしのなかにあるスキーを見てみたかった。彼は長年「半農・半スキー」を標榜して生きてきた。そのリアルな部分を見てみたかったのだ。

準備が整うと僕らはさっそく裏山へ向かった。玄関脇からそのままシールをつけて歩き出す。

「山には毎日滑りに行くんですか?」

「いや、毎日というわけではないですけど、まあ、毎日みたいなもんですね(笑)」

「じゃあ毎日ですね(笑)」

川沿いの細い林道を歩き、牧草地のような台地を横断する。雪はすっかり春のそれで、シャバついた雪のなかにコロコロとしたウサギの糞が混ざっていた。

「スキーに行くというより、犬の散歩に行くとか、ランニングに行くとか、そういう感覚に近いですね」

白樺の斜面を登りながら仁さんが言う。仁さんは普段から家の周辺を走ったりするそうだが、冬はその感覚で山を滑っている。それでも運動負荷としては全然足りず、クロスカントリースキーもやっているそうだ。近くの運動公園に本格的なクロスカントリーの専用コースが設営されている。さすがは十勝だ。

「これがかなりいいですよ。クロカンは孤独なスポーツで肉体的には追い込めば追い込むほどきついんだけど、僕にはそれがすごくはまるんです」

裏山の斜面までは約5km。登高は約100mほどだった。尾根スジから山に上がって稜線伝いに進むと、南東向きにいくつもの開けた斜面が現れた。仁さんは前日の降雪量や日照の具合を見て、毎日落とす斜面を変えるそうだ。

仁さんが僕らのために用意していてくれた、最高の北斜面。ほどよい積雪量があって、まだまだ軽い滑り心地。

裏山のプライベート・ストック

「今日の斜面はホーボーさんたちのためにとっておいたんですよ」

指さす先には緩やかながら美しい斜面が手つかずのまま残されていた。遊びにくる友人のためのプライベート・ストック。それを自宅の裏に持っているなんて、なんて贅沢な暮らしなんだろう。

僕がそう話すと「まあ、そのためにここに移り住んだわけですから」と言って笑った。

仁さんがこの地を選んだのは、十数年前に札幌方面から日勝峠を越えてはじめて十勝平野を見下ろしたとき、その広がりに「ズガーンと胸を打ちぬかれたから」だそうだ。

「なんだかよくわからないけど、とにかくこのでっかい平野で農業がしたい、と思ったんです。でもこれまでどおりスキーもしたい。だから十勝平野の一番端っこの山のギリギリに農地を借りたんですよ」

なるほど、と腑に落ちる。仁さんの農園は十勝幌尻岳の山麓にあり、こうして山の端で裏山遊びをすることも、日高山脈の奥に分け入ってスティープな斜面を狙うこともできる。

「若いころは挑むような斜面ばかり狙っていましたけど、いまはこうやってひとりでワンターン、ワンターンを慈しむように滑るのが楽しいですよね」

この日は仁さんがとっておいてくれた“ご馳走斜面”をじっくり味わうように滑った。派手さはないが、じわりと沁みた。その滋味深さに僕はいたく満足したのであった。

右へ、左へ、慈しむようにターンを描く。そこには焦りも気負いもない。まるで音楽を奏でているような滑りだった。
僕もそこに混ざる。斜度はない、手つかずのオープンバーンを滑る楽しさは格別。春の優しい陽射しと青い空が胸に沁みた。
大地と山が溶け合う場所。この広大な風景のなかで仁さんは暮らし、毎日山を滑っている。

ただの“スキーが好きな人”でいたい

夜は仁さんの友人が経営する「星空自慢の宿 帯広八千代」に投宿した。すばらしい料理に舌鼓を打ちながら彼のこれまでを聞く。

仁さんは福岡生まれの生粋の九州男児で、スキーとはほど遠い暮らしをしていた。北海道大学進学とともに北海道に移り住み、在学中にワーキングホリディで訪れたカナダでテレマークスキーと出会ったそうだ。

「そのときゲレンデで見たテレマーカーの滑りに釘付けになったんです。なんて勇ましいんだ、なんてかっこいいんだって」

以来テレマーク一筋。寝ても覚めてもスキーのことばかり考えるようになった。海外を含む本格的な山岳遠征に挑み、雪の季節はもちろん、夏もスキーを夢想した。しかし仁さんはプロになるつもりはなかった。「スキーヤー」という肩書きさえ要らなかった。ただ「スキーが好きなひと」でよかった。

「はっきりいってスキーにはなんの生産性もない。普通の人間はスキーがなくなったってべつに生きていけるっしょ。でも僕はだめなんですね。僕からスキーを取ったら、もう本当になにもなくなってしまう」

だから冬の間ずっとスキーをしていられるように、そしてスキーを純粋な趣味にしていられるように仕事を持った。それが農業だった。いまから15年ほど前のことだ。

「農業はずっとやってみたいなぁと思ってたんですが、なんしろズブの素人だったんで最初はぜんぜん上手く行かなくて、そりゃもうひどいありさまでした」

土作りも、種作りも、植え方も、耕し方も、なにもかもが上手く行かず惨憺たる結果に終わったそうだ。それでも手探りしながら少しずつ前に進み、なんとか農園を軌道に乗せた。

「いまはどんな感じの1年なんですか?」

「だいたい4月から土作りをして、5月ぐらいから種芋や苗の準備に入ります。そこから6月、7月は植え付けで忙しくて、秋以降は今度は収穫でてんてこ舞いですね」

「どんな作物を作ってるんですか?」

「長芋をメインに、かぼちゃ、ゴボウ、花豆、大豆、トウモロコシってところですね。いまはニンニクに力を入れてます。農業はそんときそんときの天候に大きく左右されるから、なるべく多種・多品目をやっておかないと……。昔は凶作にうちひしがれることもしょっちゅうでした」

「作物の収穫はいつごろまで続くんですか?」

「だいたい11月一杯で長芋掘りが終わって、出荷して、片付けして、次の年の準備をし終わる12月の真ん中ぐらいになると、そこでドカンと雪が降って農作業は終わり。そこから春までは待ちに待ったスキー生活になります」

仁さんはそこで破顔した。そのために生きている、という顔だ。その笑顔がとてつもなく眩しく見えた。

おもしろいオジサンふたりが、大満足でカンパイ。
帯広八千代のディナー。地元の農家や酪農家が丹精を込めて作った新鮮な素材をふんだんに使っている。一年分のほっぺたが落ちた。「星空自慢の宿 帯広八千代」https://yachiyoyh.com/

地元で人気の日勝峠へ

翌日は日勝峠まで足を伸ばした。ここは9合目にあたる標高1,000m地点にクルマを駐めて、そこから1,445mの日勝ピークまで短時間でハイクアップできるので人気が高い。この日も平日にもかかわらず僕らの前にはすでに何人かの先行者がいた。

「日勝峠も以前はよく来ましたね。夜明け前に家を出て、ここまで1時間クルマを飛ばしてきて、ヘッデン点けてひとりで登って、ピークで朝日を迎えるんです。で、そこでポットに入れた熱いお茶を一杯飲んで、明るくなりかけたなかを1本だけ滑って、そのまま家に帰ってました。朝飯前の1本です」

嬉しそうに仁さんが話してくれた。

「でもひとりでも先行者がいるともうそれだけでイヤになっちゃって、滑りもしないで帰ってましたね」

そしてガハハハハと豪快に笑った。僕らからしてみたらもったいない話だが、きっとこれが仁さんの美学なんだろう。最高の1本を滑りたい。大好きなスキーを100%楽しみたい。それが話の節々にあふれていた。

日勝峠から日勝ピークまで疎林の中を登高する。煌めくザラメが早く滑れと僕らをかき立てる。
頂上直下の氷結地帯を抜けてピークへ上がった。今年は積雪が少なく、まだ3月だというのに、ハイマツが見え始めていた。

日勝峠は楽しかった。厳冬期は強い風と厳しい寒さで知られる山だが、春が近づいているせいかピリピリした緊張感もなく、僕らはおじさんギャグを連発しながら順調に高度を上げた。疎林で右も左も広いオープンバーンだ。日照と融雪が繰り返されて、いい感じのザラメ雪に仕上がっている。国道のすぐ脇からこんな斜面に入れるならそりゃあ「朝メシ前」に来たくもなるだろう。

頂上直下の平場でいったん休憩した。ここまで約40分の行程だ。ポットの白湯を飲みながらクッキーを囓る。

「どうします? なんかこの上はガリガリに凍ってるけど、日勝ピークまで上がります?」と言われて「もちろん」と即答。ぜひ頂上からの眺めを見てみたい。

最後ひとがんばりして日勝ピークに立つと、眼下に雄大な景色が広がった。

「ああ、これか……」

メムロ、オビヒロ、シホロ、オトフケ……。どこまでも続く白い広がりに胸が空く。若き日の仁さんじゃなくても、この景色をみたら多くの人がこの大地で生きていきたいという衝動に駆られるだろう。

その大きな広がりに向かって、僕らは滑った。

仁さんは右へ、左へと、リズミカルで力強い滑りを見せてくれた。どこも力まず、どこも抜かず、それは見事な滑りだった。

そして僕はといえば……。

カッコイイところを見せようとフロントサイドで前加重になりすぎ、雪面に刺さって派手に前転した。ゴロンゴロンと世界が暴れ「あっ」と叫んだ口の中に雪が飛び込む。

でも気がつくと僕は雪面にそのまま立っていた。なぜか両手を高く掲げている。ヤイヤイと遠くから喝采を上げているみんなに向かって「どーだ!」と叫ぶ。

なにがどーだ、だ。

そのあとはそれぞれが思い思いのラインで春の斜面を楽しんだ。ヤバかったのは頂上直下だけで、あとはよく走る気持ちの良い雪だった。脳みそが溶けるようなスペシャルなコンディションではなかったけど、それでも「うひょー!」と声が出た。目尻が下がった。口角が上がった。滑れさえすれば、けっきょく、笑顔しかない。

ダイナミックで優雅なテレマークターン。立ち上がる雪煙が仁さんの喜びを饒舌に物語っている。

いやあ~悔しい! せっかく実現した石橋仁とのBCセッションでやらかしてしまった。いやあ~楽しい!

シーズン終わりの春の一日。

特別ではない一日。

だけど特別な一日。

そんな一日を僕は石橋仁とすごしていた。

すべてを捧げて生きて行くのだ

「じゃあ、焼肉でも食べに行きますか!」

山を下りたおじさんには3つの選択肢しかない。温泉と、焼肉と、ビール。僕らはその3つを順番に片付けることにした。

焼肉を囲みながらこれからの話をした。3月も中旬をすぎ、季節は春へと移りつつあった。雪の下でフクジュソウの蕾が膨らみ、陽当たりのよい土手ではフキノトウが芽吹きのときを待ち構えている。僕らスキーヤー、スノーボーダーはここでギアを切り替えて、次のステップへ向かうタイミングだ。冬の間は閉ざされていた林道が開き、除雪が進んで山へのアプローチがしやすくなる。本格的な春のバックカントリーシーズンが始まるのだ。

帯広の名店「有楽町」に飛び込む。オジサンはジンギスカンが大好きだ。ワシワシ焼いて、ワシワシ喰らう。これぞワシらの生きる道。

「僕はまったくそうならないんですよ。スキーが大好きだといいながら、じつは薄情なんですかね……」と仁さんが吐露する。

「まわりの仲間は6月ぐらいまで滑ってますけど、僕は4月に入ったとたんキレイさっぱりスキーを忘れ、農業のことばっかり考えてる。畑の雪を剥がして、土を掘って、土壌試験をして、あれを植えようとか、これを作ろうとか、あの肥料を入れようとか、これを試してみようとか、1から100まで農業のことしか考えられなくなってしまうんです」

冬のあいだはスキーに全振りし、春から秋までは農業に全振りする。そしてその境界には未練も迷いもまったくない。それは見ていて潔く、スガスガしさまで感じる。

「これまで僕は自分のライフスタイルを『半農・半スキー』なんていってましたけど、じつはそうじゃなかった。最近それに気がついたんですよ」

コップにビールを注ぎながら仁さんは言った。

「全農、なんです。僕はいま、じぶんの全部を農業に注いでる。身体も、脳みそも、生活も、人生も、ぜんぶです」

農業には無駄な一日というのはまったくないという。こうして雪の下に覆われている間も土は自らを休ませ、種や球根に力を注ぎ、緑の季節に向けて動いている。それと同じように人生にも無駄な一日というのはない。だからたとえスキーをしているあいだであっても、自分のすべては農業に向かっているのだと。

ではスキーはどうなのだろう?

「全身、全霊、全スキーです」仁さんは力強く言う。

「農業と同じように、僕の人生のぜんぶを注いでいます」

それを聞いて笑ってしまった。でもおおきく頷いた。なんというか、マルッとぜんぶ腹に落ちた。半農・半スキーなんてこの人には似合わない。全農・全スキー。それが石橋仁の生きる道なのだ。

すべてひとりで作りあげたというガレージ(格納庫)では、トラクターや農耕具たちが春の出番を待ち構えていた。
古いフォードのトラクターを見つけて飛び乗る。ふたりとも機械と乗り物が大好き。マシン談義に花が咲いた。

東京に戻って数週間が経ち、千鳥ヶ淵の桜が満開になったころ、彼の農園から大きな段ボールが届いた。

開けてみると中には大きくて太い長芋がぎっしりと詰め込まれていた。

仁さんが“全農”で作った長芋だった。

僕はさっそくそれを千切りにし、わさび醤油で頬張った。

それはもう、気が遠くなるほどの味だった。日勝ピークから見下ろしたあの十勝平野の雪景色が、口の中で緑の大地に変わった。

大地が芽吹き、花が咲き、陽に焼かれ、雪に閉ざされた、そのすべてがそこにある。そんな味だった。

僕はもう千切りにするのももどかしくなり、長芋を鷲掴みにしてかぶりついていた。

春の湿雪がシールに付着し、進退窮まる。でもおじさんふたりは大喜び。これでいいのだ。もう春なのだ。

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PROFILE

フィールドライフ 編集部

フィールドライフ 編集部

2003年創刊のアウトドアフリーマガジン。アウトドアアクティビティを始めたいと思っている初心者層から、その魅力を知り尽くしたコア層まで、 あらゆるフィールドでの遊び方を紹介。

フィールドライフ 編集部の記事一覧

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