
山に登る人から、山へ送り出す人へ ―「行ってらっしゃい」が聞こえる安曇野の宿―
宇宙HIKE
- 2026年10月19日
安曇野でゲストハウス「Guesthouse 宿り木」を営む、藤井竜太さんと由貴さん夫妻。北アルプスのそばで暮らしたいと安曇野へ移住し、山を楽しんでいたおふたり。そんなおふたりが、いまでは自ら山へ登るだけでなく、たくさんの登山者を山へ送り出している。「自分が登る」から「送り出す」へ。いつしかおふたりにとって、山との関わり方はそんなふうに変わっていった。
私と「宿り木」との出会い

さかのぼること2年前。私が移住を本格的に考え始めたころ、安曇野で写真のワークショップがあり、その宿泊先としてお世話になったのが「Guesthouse 宿り木」だった。オーナーの藤井夫妻も移住者。ユーモアあふれる関西人らしい雰囲気に加え、頼もしいお兄さん、お姉さんといった存在で、当時の私の移住についての質問にも快く答えてくださり、いろいろとお話を聞かせてもらった。
その後、私自身も安曇野へ移住。1年が経ったいまも、なにかと気にかけてくださっている藤井さん夫妻。おふたりが移住者であることや山が好きだということは知っていたけれど、なぜ山好きのおふたりが、いまのような「登山者を迎え、山へ送り出す宿」を営んでいるのかは、じつは詳しく知らなかった。
そこで今回、あらためてお話を伺う機会をいただいた。
「宿り木」という名前に込めた思い

まず気になったのが、「Guesthouse 宿り木」という名前の由来。そのエピソードを聞くと、藤井夫妻のやり取りまで目に浮かぶようで、とてもおもしろかった。
ゲストハウスをすることが決まり、「宿の名前を考えよう」となったとき、夫婦それぞれで名前を考えて、アイデアを出し合うことにしたそう。そして1週間後。いよいよ候補を発表する日になり、旦那さんの竜太さんは、真面目なものからユーモアのあるもの、半ばネタのようなものまで、20個ほどの候補を紙に書いて準備していた。
いっぽう、奥さんの由貴さんは「宿り木」一択。
森のなかで、登山者や動物たちがちょっと休んだり、和んだりできる。そんな場所になったらいいな、という願いを込めた名前だった。それを聞いた竜太さんは、由貴さんのアイデアがあまりにもよかったため、自分が用意していた候補をビリビリに破り、すぐに「宿り木」に決まったという(笑)。なんとも藤井夫妻らしいエピソードだ。
ロゴに込められた、もうひとつのつながり

その後、屋号が決まり、次に考えたのがロゴだった。由貴さんが以前からファンだったのが、切り絵作家の後藤郁子さん。イベントで実際にお会いした際に思い切って声をかけ、ロゴ制作をお願いしたそうだ。大好きな作家さんに自分たちの宿のロゴを作ってもらえることになり、もちろんうれしかった。いっぽうで、宿の顔となるロゴをどんな形にしたらいいのか、何をモチーフにしたら「宿り木」らしさが伝わるのか。おふたりもいろいろと悩んだという。
そうして相談しながら生まれたのが、現在の「宿り木」のロゴ。単に屋号を表すマークというだけではなく、自分たちの思いを形にしてくれた人との出会いから生まれたものでもある。そして、ロゴが完成して終わりではない。後藤さんとはいまも交流が続いているそうで、宿を始めたことをきっかけに、ひとつの作品だけではなく、人と人とのつながりまで生まれている。
会社員時代にやりたかったことも、すべて叶えた

話を伺っていると、庭にドラム缶やハンモックがあるのが目に入った。「これは何のために?」と聞いてみると、会社員時代にやりたかったことが、ゲストハウスをすること以外にもあったという。それが、BBQ、ハンモック、そしてドラム缶風呂。「すごい、全部叶えてるー(笑)」思わずそう言ってしまった。会社員時代には思い描いていたものの、なかなかできなかったことが、いまは宿の庭に並んでいる。
山好きのおふたりが、なぜ「登山者の宿」を?

では、なぜ安曇野へ移住し、登山者を迎える宿を始めたのだろう。安曇野へ移住してきた理由のひとつは、北アルプスが身近にある環境に魅力を感じたから。最初は、「自分が山に登るために、ここに移住したい!」という気持ちだったという。ところが、ゲストハウスを営み、安曇野で暮らし、さまざまな登山者と接していくなかで、少しずつ気持ちに変化が生まれていった。
初めは、観光客も登山者も迎える宿だった。けれど、蝶ヶ岳や常念岳、燕岳などへ向かう人たちを見送り、そして下山してきた人たちを迎えることをくり返すうちに、少しずつ「登山者を中心に迎え、送り出す宿」へと形が変わっていった。山へ向かう人たちは、それぞれにいろいろな想いや楽しみを抱えている。早朝、「行ってらっしゃい」と送り出す。そして帰ってきた登山者から、「無事下山しました!」「楽しかった!」という言葉を聞く。
そんなやり取りを重ねるうちに、「自分が山に登る」よりも「登山者を応援する」側になっていったという。そして、登山者にとって少しでも安心できる場所になれるのではないか。そうして現在の「登山者の宿」という形にたどり着いた。
宿り木で大切にしているのは、登山者が山へ出発するその瞬間だけではない。宿泊当日のお迎えのときには、ゲストと話をしながら翌日の予定を確認する。どのルートを歩くのか。予定に無理はないか。そして、直近の登山道の状況や山のようすなど、その時点で知っている情報を伝えながら、できるだけ安全に登山を楽しめるようサポートしているという。

そして出発の朝。宿り木では、行き先を書いたうちわを持って記念撮影をするのがお決まりになっている。「燕岳」や「蝶ヶ岳」など、それぞれの目的地を掲げて、笑顔で一枚。これから山へ向かう人たちにとっては、ちょっとした楽しい旅のひとコマだ。けれど、その写真はそれだけでは終わらない。藤井さんは、撮った写真を登山者に送ったり、その後も「無事に目的地までたどり着いただろうか」「予定どおり下山できただろうか」と気にかけているという。
宿を出発したら、それで終わりではない。山へ向かう前から、無事に帰ってくるまで。そんなふうに登山者を見守っている。
宿を営んで感じる、山の見え方の変化

宿には、本当にさまざまな人がやってくる。日本全国からはもちろん、いまでは海外からも北アルプスを目指して訪れる人がいるそうだ。出発前は少し不安そうだった人が、下山してきて、「最高でした!」と笑顔で話してくれる。その瞬間がうれしい。そして、「ここに泊まってよかった」と思ってもらえたら、それが一番うれしいという。
「無事に帰ってきてくれた」という安心感。「山を楽しんでもらえた」という喜び。そんな経験を重ねるなかで、以前は藤井さんにとって「自分が登る山」だった北アルプスが、ゲストハウスをとおして、まったく違って見えるようになったという。
それは山だけではない。安曇野の水や空気、景色、食べ物、人の温かさ。ゲストたちの言葉を聞くことで、自分が暮らしている場所の魅力をあらためて実感するようになった。いまでは、山だけではなく、安曇野そのものを好きになって帰ってもらいたい。そんなふうに感じているそうだ。
登山者にとっての「宿り木」とは

「ここは、これからも山へ向かう人にとっての『出発点』であると同時に、山から帰ってきた人にとって『ほっとできる場所』でありたい」そう話す竜太さん。登山者のための宿でありながら、「宿り木」をきっかけに安曇野を好きになってもらったり、ここで出会った人同士につながりが生まれたり。そんな場所でありたいという。
「宿り木」という名前には、鳥や動物たちが枝にちょっととまり、また次の場所へ飛び立っていくようなイメージがある。登山者にとっても、ちょっと立ち寄って、また次へ進んでいける場所。それが、藤井夫妻の考える「宿り木」だ。自分が山に登ることから、誰かを山へ送り出すことへ。形は変わっても、山のそばですごす日々は、これからも続いていく。
今日もまた、ここからだれかが山へ向かっていく。「行ってらっしゃい」と送り出し、帰ってきたら「おかえり」と迎える。そして、無事に帰ってくること。それが、送り出してくれた人へのなによりの贈りものなのかもしれない。

Guesthouse宿り木
https://www.instagram.com/guesthouse_yadorigi?utm_source=ig_web_button_share_sheet&stkn=ZDNlZDc0MzIxNw==
写真&テキスト◎佐藤 郁(宇宙HIKE)
https://www.instagram.com/iku_sato2014?igsh=eXg4bTYwd2o5ZXQ4&utm_source=qr
https://note.com/ikus2014
SHARE
PROFILE
宇宙HIKE
Photographer 松本茜主催、山と写真のコミュニティー。 宇宙を旅するように山へ登り、旅や写真を使って「自分」にフォーカスする。 ユーモア溢れるメンバーが集まり、日々楽しみながらいろんなフィールドで活動を続けている。
Photographer 松本茜主催、山と写真のコミュニティー。 宇宙を旅するように山へ登り、旅や写真を使って「自分」にフォーカスする。 ユーモア溢れるメンバーが集まり、日々楽しみながらいろんなフィールドで活動を続けている。
RECOMMEND ITEM
[ 公式オンラインショップおすすめアイテム ]



















