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峠の肖像 #7 金精峠(群馬) 時空入り乱れる異界に至る、強壮の峠道

標高以上の喜びをもたらす峠はいい峠だが、金精峠はまさしくそんな峠だ

峠道においてスノーシェッドに行き当たると、雪国の冬に想いを馳せることになる。無機質な人工物でありながら、この地の風土を言葉少なく語ってくれる弁士でもある。向かって右手には勾配のきつい旧道が残されているが、朽ちていく一方だ

奥日光の象徴、金精峠

山頂から見る眺望は、峠を制した者にだけ許された特権だ。何度も足を止めようという誘惑に打ち勝ち、日々暮らす街が「下界」になるひととき、こんなにも遠いところまで来たのだとサイクリストは自身の足を誇る。

県境や言語が変わる例を見るまでもなく、峠は多かれ少なかれ、地理や文化の境界である。そして同時に上界と下界とを分かつものであることを、日光の地では強く実感する。鬱蒼とした森の中に目まぐるしく九十九折が続く、始めから終わりまで二車線の稀有な登坂路、いろは坂。この上りを越えた途端に現れる中宮祠のひなびた街並みはどこか異界的だ。この地が聖域であることが体感でき、1200mを超える標高ゆえの乾いた空気も別世界に来たことを告げているかのようだ。

中禅寺湖畔は既に上界であり、その先にあるのは広漠たる戦場ヶ原だけなのだから、奥日光とはうまい言い回しだ。立地的にも心理的にも、「奥」に違いない。静かな温泉地と峠道からなる奥日光は、紅葉の時期を除けば人影少ない山間の深奥である。人里離れた荘厳な山岳地帯ではしばしばあることだが、やはりこの地も修験者によって発見された。かつて修験者たちが修練と祈りを重ねた山々が、今日では自転車乗りの目指す場となっているのは、そう珍しいことではない。この奥日光を象徴する峠が、金精峠である。

この峠は群馬県片品村と栃木県日光市を結ぶ鞍部にある。今も山中に峠は残り、登山者が行き交うが、自転車乗りはその崖下に穿たれた金精トンネルの舗装路を金精峠と呼ぶ。ここが開通したのは1965年。先に下界から登り上げてきた第2いろは坂と同時の開通であり、この地のモータリゼーションの歴史を証している。当時は有料道路だったが、我が国におけるこの時代の多くの山岳観光道路の例にもれず、今日では無料化され、行き交うクルマも少なくサイクリストがその恩恵を受けている。とはいえ、ここを走るサイクリストはそう多くない。なんといっても日光の奥地、修験者が籠もった山間とあってどこからアプローチしても遠く感じるのだろう。

日本で3番目に標高の高い国道だが

サイクリストが金精峠を意識するのは、ここが日本で3番目に標高の高い国道であるからかもしれない。ナントカとサイクリストは高いところに登りたがるものだ。ここではサイクリストがナントカであるとは言っていないので誤解なきよう……。国道として標高1位の渋峠(2172m)、2位の麦草峠(2127m)には水をあけられた1843mだが、鬱蒼とした景色に標高を感じないまま2000mに至る麦草峠よりも峠を登る喜びは大きい。標高以上の喜びをもたらす峠は良い峠だが、金精峠はまさしくそんな峠である。

登りながら眼下に見えるのは男体山と湯ノ湖
釣人にとっても歴史と格式のある湖で、この奥日光を訪れる者の少なくない割合が釣人である

ひとときの夢を信じて釣り竿を振る太公望たちの背中を湯ノ湖に見たら、間もなく峠の上りが始まる。奥日光の最奥部に至る金精峠へは、ここからおよそ5kmの登坂だ。まもなく鼻を衝くのは硫黄の匂い。眼下には湯元の温泉街と湯ノ湖が小さく見えている。渋峠では硫黄臭が登り始めの合図だが、ここ金精峠でも事情は同じ。とはいえ、火山活動による自然の臭気と比べて幾分か、人間臭い硫黄臭ではある。

紅葉の時期を避ければ、ここは静かな峠だ。冬季には道路が閉鎖される雪国らしく、途中にあるスノーシェッドには水の滴る音が反響している。静けさに感覚が研ぎ澄まされていくのを感じる。眼下に見えるのは、先程まで上界を象徴していた男体山。今やあの山も下界のそれとなってしまった。かつてここが修験の世界であったことを思い出しながら、視線を進行方向へとやると、屹立する褐色の崖が頭上に見えた。笈吊岩(おいづりいわ)だ。自転車で至る金精峠は、この笈吊岩の麓、金精トンネルの入口まで続くのである。

金精山は流紋岩の溶岩円頂丘で岩石が露出しており、また降雪と強風によって樹木も少なく野性的な山容を誇る。輝鉄鉱を多く含むために褐色で、その独特の景観に目を奪われるが、この崩落した崖部分を笈吊岩と呼ぶ。かつて修験者たちがここを登るのに、荷物を入れた笈(おい)を置いてまず身一つで登り、その後で上から吊り上げたことからこの名がついたと伝わる。重いものを背負っては山を登れないというのは、ここまで自転車で峠を走ってきた身としては実感を伴うことでもある。

金精の意味

そもそもこの金精峠という名称からして、重いモノを持っては登れなかったという曰くつきだ。金精とは、字面からもある程度推測がつくが、いわゆる男根のことである。8世紀の僧、道鏡は虚偽の神託を行ったことで下野(現在の栃木県)へ左遷された。彼にとって下野に至るこの峠越えは困難を極めた。それというのも、彼は相当な「モノ」持ちで、そのあまりの重さが登山を妨げたために切り落としてしまったというのだ。この切られたモノを、金精様として祀ったことで金精神社となり、金精峠と名がついた。

舗装路の金精峠に至り、そこから30分ほどの登山をすれば本来の金精峠そして金精神社がある。明治35年刊行の「日光名所圖會」には、「祭神詳らかならず、何者の所為にや、銅滅金の陽根を納む、種々附會の説を為せり」とある。どんな神様を祀っているかは不明だが、誰かによって男根像が納められ、そのいわれには諸説ある、ということらしい。道鏡説は近年に付与されたものかもしれないが、金精様信仰であることには変わらない。こんな山奥で不思議な気もするが、伝承によれば肉蓯蓉(ニクジュヨウ)という滋養強壮に効く植物がこの峠に生えていたことから、金精信仰と結びついたとも言われる。しかしそれでも栄養ドリンクの材料になる外国由来のこの植物がなぜこの地に生えていたのかという疑問は残る。

日光の奥座敷、金精峠は上界と下界を分かつというよりも、時空が入り乱れる異界であった。現代の修験者たる自転車乗りがここを走れるのは、雪で閉ざされる冬までの間である。

金精峠のヒルクライムの後半は笈吊岩に見下されながら。舗装路の金精峠に至ると、眼前に迫力あふれる笈吊岩が迫りくる。かつて修験者たちはここを苦労してよじ登った。その峻厳さには目を奪われる

スペシャライズド・Sワークス ターマックSL8で走る金精峠

奥日光へは長い登り坂が続く。ピュアレースバイクのスペシャライズド・Sワークス ターマックSL8だが、クライミングバイクとしての性能に息を呑んだ。金精峠での機材レビュー記事も合わせてチェックしよう。

溶け合うクライミングバイクとエアロロードの境界線|Specialized S-WORKS TARMAC SL8

溶け合うクライミングバイクとエアロロードの境界線|Specialized S-WORKS TARMAC SL8

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※この記事はBicycle Club[No.458・2024年11月号 ]からの転載であり、記載の内容は誌面掲載時のままとなっております。
※誌面との連載Noとは異なります。

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PROFILE

小俣 雄風太

小俣 雄風太

アウトドアスポーツメディアの編集長を経てフリーランスへ。その土地の風土を体感できる方法として釣りと自転車の可能性に魅せられ、現在「バイク&フィッシュ」のジャーナルメディアを製作中。@yufta

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