
喜界島をあとにし、奄美大島でのんびりすごす|筆とまなざし#459
成瀬洋平
- 2026年04月15日
田中一村終焉の家を訪ねて
喜界島をあとにし、奄美大島へ向かった。直線距離でわずか20km強。朝5時に喜界島を出港した船は船上で夜明けを迎え、7時に名瀬の港に着いた。ちなみに喜界空港から奄美空港までは飛行時間わずか10分。日本一短い航空路線として知られている。
奄美大島といえば、田中一村、大島紬、そして元ちとせである。「ワダツミの木」でメジャーデビューしたときの歌声は衝撃的で、それ以来、奄美大島は行ってみたい場所のひとつとなった。それから20年以上が経ってしまったことを思うと、我ながら行動が遅い。
まずは田中一村美術館へ向かう。名瀬からバスでおよそ1時間。美術館は奄美パークという公園のなかにあった。
孤高の日本画家として知られる田中一村は、明治41年に栃木県で生まれた。神童と呼ばれながらも中央画壇に認められることはなく、50歳で奄美大島へ移住。貧窮をものともせず、荒屋に暮らしながら5年間大島紬の工場で働き、3年間は絵に専念するという生活を繰り返した。「アダンの木」をはじめ、奄美の自然をエキゾチックで大胆に描いたその作品は、没後に大きな感動とおどろきを持って知られることとなる。
美術館は25年前に建てられたそうだが、四半世紀も経っているとは思えないほどきれいだった。最後の展示室には代表作が並び、その迫力に圧倒される。美術館をあとにし、大島紬村に立ち寄ってから、田中一村終焉の家を訪ねることにした。
バス停で地元のおばさんと知り合い、お菓子をもらって世間話をする。
「昔、石段を歩いているときに髪の長いおじいさんを見かけたことがあって。いま思えば、それが一村さんだったかもしれないなって思うんです」
生前、田中一村は奄美の人たちにもほとんど知られていなかったそうで、その暮らしぶりが伺える。
名瀬の街中から山ひとつ隔てた、住宅と森との境界に終焉の家は建っていた。ただし、この家は近所から2度の移築を経てこの場所に建てられたもので、実際にこの場所で一村が暮らしていたわけではない。
朽ちかけた束が基礎石に乗っただけ。壁に張られた板は寸法が違うし、隙間だらけの荒屋である。近所の人の話だと、いまはトタンが被せられている屋根も元々茅葺きだったそうだ。昭和52年、夕食の準備をしているときに心不全で倒れ、69歳で生涯を閉じた。
この荒屋で、自分自身が真に満足する一枚の絵を求め、絵を描き続けた画家がいたことに衝撃を受けずにはいられなかった。日々、金銭欲に塗れて生きる私たちはなんなのだろう。
喜界島を歩き回った骨休めに奄美大島でのんびりすごす
翌日、3日分の食料とビールと黒糖焼酎を買い込み、島の南端に位置する瀬戸内町へ向かった。加計呂麻島との間に横たわる大島海峡。その海を望む浜辺に無料のキャンプ地がある。砂浜でキャンプしながら絵を描こうと思ったのだ。
名瀬から瀬戸内までバスで1時間半。さらに小さなバスに乗り継いで、ヤドリ浜に着いたのは14時ごろだった。キャンプ場といっても、海水浴用のトイレと水シャワー、そして静かな砂浜があるだけのすばらしいロケーションである。浜とアダンの森との間に狭いが平らな場所を見つけたのでテントを張った。朝から降っていた雨は上がり、夕方には青空が広がり顔を出した。海峡の向こうに加計呂麻島が島影となって見える。コーヒーを淹れ、さっそくスケッチブックを取り出してテント脇に生えているアダンを描く。波打ち際が近く、最初は落ち着かなかったがそれにも次第に慣れてきた。
鮮やかな日差しと生命力に満ち溢れた植物。頭上を飛び交う鳥たち。浜辺に転がる珊瑚や螺鈿色の貝殻。そして色彩豊かな海。この島は描くモチーフにこと欠かない。穏やかで温暖な気候のおかげで生活しやすい。食材も豊富だし衣類も少しでよく、燃料費もかからない。田中一村が独り絵の道に没頭するためこの島を選んだ理由がわかる気がする。
喜界島を歩き回った骨休めに、浜では絵を描いたり読書をしながらのんびりとすごした。海に入ってみると予想以上に暖かくておどろいた。失敗はビールが全く足りなかったこと。残り少なくなった黒糖焼酎を舐めながら、加計呂麻島に沈む夕日を眺め、月明かりが落とすアダンの影を眺めながら眠った。
奄美大島では、意識的に戦争の歴史から距離を取っていたのだと思う。喜界島で見聞きしたことで頭がいっぱいだったし、ここではもっと気楽に旅を楽しみたいと思ったからだった。しかし当然、この場所も戦争の影響を強く受けており、とくに複雑な海岸地形が続く大島海峡は重要拠点だった。戦後、文学者として有名になる島尾敏雄は加計呂麻島に駐屯した第18震洋隊隊長で、その経験をもとに「島の果て」「出発は遂に訪れず」を書いた。それらを原作に満島ひかり主演の映画『海辺の生と死』が作られているので、関心のある方はぜひご覧いただきたい。加計呂麻島には、島尾隊とともに大叔父のいた後藤隊の本部でもあった大島防備隊本部が置かれていた。
またいずれ奄美を訪れるときが来るだろう。そのときは加計呂麻島に渡ってみようと思う。
著者:ライター・絵描き・クライマー/成瀬洋平
1982年岐阜県生まれ、在住。 山やクライミングでのできごとを絵や文章で表現することをライフワークとする。自作したアトリエ小屋で制作に取り組みながら、地元の岩場に通い、各地へクライミングトリップに出かけるのが楽しみ。日本山岳ガイド協会認定フリークライミングインストラクターでもあり、クライミング講習会も行なっている。

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