
白い闇に刻まれた「298日」の記憶をたどる。霧ヶ峰とノスタルジックな回廊をめぐる「雲上の湯」|山本晃市の温泉をめぐる日帰り山行記 Vol.18
山本 晃市
- 2026年05月18日
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温泉大国ニッポン、名岳峰の周辺に名湯あり!下山後に直行したい“山直温泉”を紹介している小誌の連載、「下山後は湯ったりと」。
『PEAKS 2026年7月号(No.178)』では、避暑地として愛される長野県の霧ヶ峰へ。下山後の“山直温泉”は、蓼科温泉「小斉の湯」を訪ねます。
“山直温泉”の記事・情報は
『PEAKS 2026年7月号(No.178)』の
「下山後は湯ったりと」にて!
編集◉PEAKS編集部
文・写真◉山本晃市(DO Mt.BOOK)
年間「298日」の記録と記憶
霧が発生する年間平均日数、約200日。この数字だけでも驚くが、さらにはかつて年間日数の歴代最多となる「298日」という信じがたい数字を記録した場所がある。一年の大半を白い闇に包まれた山。さて、いったいここはどこなのか。山好きの方は、もうお気づきだろう。そう、霧ヶ峰だ。
長野県中央部に横たわる霧ヶ峰は、爽やかな草原がどこまでも広がり、天然記念物の植物群落や希少な高層湿原を抱く高原台地。古くから避暑地としてもよく知られる、日本百名山の一座だ。
霧ヶ峰という地名は、霧が発生しやすい気候に由来する。諏訪湖から立ち上る明け方の湿った空気が上昇気流に乗り、この地で急激に冷やされる。するとあたりは瞬く間に深い霧に飲み込まれ、幻想的な静寂の世界へと一変する。
それにしても、年間298日という数字はあまりにも突出している。本データは1944(昭和19)~46(昭和21)年にかけて、当時の「中央気象台車山観測所」の観測員が目視によって記録したものだ。
なぜ、これほどの数字が記録されたのか。そこには、現在のデジタルな観測方法では計り知れない当時の実情が深く関わっていた。

デジタル化で消えゆく「人の記録」
本題に入る前に、まず気象庁による「霧」の定義を確認しておきたい。
「霧」:微少な浮遊水滴により視程(水平方向での見通せる距離)が1km未満の状態
「もや」:視程1km以上、10km未満の状態
「濃霧」:視程が陸上でおよそ100m、海上でおよそ500m以下の霧
ちなみに、「かすみ」は「気象観測において定義がされていないので用いない」用語。
現在、霧の観測方法は、視程計(※)による自動計測が主流だ。一方、年間歴代最多となった数字は、先述のとおり目視による有人観測で得たデータだった。当時の観測員たちは、「24時間体制で、わずかな霧も見逃すことなく発生をカウントした」という。これがまず、驚異的な数字の要因だ。
※空気中に浮遊している水滴や塵がどれくらい光を遮るかを測定し、見通せる距離を数値化する装置
また、施設事情の違いにも関わりが見出せる。
かつては多くの山頂に測候所があったが、現在は視程計を設置して霧を常時観測する施設自体が極めて限定的なものになっている。しかも、ほとんどの気象観測が「アメダス(気象庁の無人観測施設)」に切り替わり、「雨、風、太陽、雪」といった生活に直結するデータを主に計測している。残念ながら「アメダス」に霧を測定する機能はない。また、測候所であっても霧の観測はほとんどしていない、というのが実情のようだ。
「山頂で人が24時間体制で霧を見張る」ことによって記録された「298日」。この数字は、今後更新されることはまずないといえるだろう。

白い闇を灯す、観測員たちの思い
こうした観測事情の違いもさることながら、当時の現場には思いも寄らぬ事実がさらに刻まれていた。
車山山頂の過去最低気温は、記録に残っているもので-19.8℃(1999年2月)。気候変動、温暖化が激しい昨今とは異なり、歴代最多記録を観測した当時はそれ以下になったことも多々あったのではないだろうか。
さらにやっかいなのが、まさに霧だ。霧の殿堂とも呼ばれる霧ヶ峰は、視界が完全に奪われるホワイトアウトになることもまれではない。観測所から百葉箱や露場(ろじょう/屋外の観測場所)までのわずかな距離でさえ、遭難のリスクを伴う。そのため建物から観測地点まで誘導ロープを張り、それを命綱にして移動したという。
また、霧が強風で吹きつけられると「エビのしっぽ」と呼ばれる霧氷が成長し、観測機器を飲み込んでしまう。放置すれば氷の塊となり、機能が停止する。これを防ぐため、観測員たちは凍てつく嵐のなか、木槌などで氷を叩き落とした。
まさに冬の車山山頂は過酷極まりない環境にあった。
氷と霧に包まれた視界ゼロの山頂で、定時(3時間または1時間おき)に外へ出て視程を確認し続けた観測員たちのプロ根性。これこそが「298日」という世界でも希な記録を生み出したといっても過言ではない。

でもなぜ、そこまで……?
1944~46年は、戦中・戦後の混乱期。国民全体が物資の乏しさにあえいでいた。山頂への物資補給には、さらなる困難があったに違いない。食料や燃料は、歩荷(ボッカ)によって強清水(こわしみず)や諏訪から運び上げられていた。冬場は室内でも水が凍り、食料のジャガイモがカチコチになって食べられないこともあったという。そんな空腹と寒さに耐え、観測員たちは定時の観測を続けた。
彼らを突き動かしたのは、はたして職務に対する義務感だったのか……。
当時、霧ヶ峰周辺は軍用機の墜落事故が多発する難所であり、またグライダーの訓練拠点でもあった。
「自分たちが正確な視程を伝えなければ、また飛行機が落ちてしまう」──混迷を極めた時代に刻まれた「298日」という数字は、空の安全に心を砕き続けた観測員たちの不屈の執念と祈りの結晶だった。

1999年、車山山頂の気象観測にレーダーが運用を開始される。この時点で、同地での霧観測は事実上終了した。その後の発生日数は、もはや深い霧のなかだ。
近代的な現在のレーダードームの傍らに、ひっそりと「中央気象台車山観測所跡」と刻まれた石碑が建つ。かつてこの地で、白い闇を見つめ続ける人々がいた――霧ヶ峰を訪れるたび、観測員たちの不屈の精神に思いを馳せずにはいられない。「298日」という数字は、単なる気象データではない。それは記録を超えた、彼らの記憶。いまも霧の向こう側で、静かに輝いている。

霧の殿堂、霧ヶ峰の爽やかな夏
霧に包まれた過酷な世界から一転、青空の下、緑鮮やかな夏真っ盛りの草原を歩こう。
前段が長くなったので、今回は約5.5kmの周回コース(下記ルートマップ参照)を、スタートから順にスポット写真とともに紹介したい。











霧の聖地、霧ヶ峰。
この霧こそが、貴重な湿原植物を育み、美しい高層湿原の景観を作り出している。本コースは、車山とともに霧ヶ峰の核心部ともいえるエリアをめぐる。整備された登山道が続く歩きやすいコースだが、急な霧による視界不良に十分注意したうえで、霧ヶ峰の奥深い自然を体感していただければと思う。あの観測員たちを頭の片隅に思い浮かべつつ。
森の回廊をめぐり、雲上に湧く露天湯へ
下山後、山直温泉へ。今回訪ねるのは、泉質随一と地元でも評判の信州蓼科温泉「小斉(こさい)の湯」。かつては温泉宿を営んでいたが、現在は日帰り入浴専用の湯処となった。とはいえ、温泉の魅力はいまもまったく変わらない。
雲上に湧く良質な露天湯がいくつもあり、長い回廊で結ばれている。回廊の柱の随所に蓼科ゆかりの歌人の作品が掲げられ、短歌の世界に引き込まれる。そんなノスタルジックな雰囲気も、この湯の味わいを深めてくれる。
それぞれに個性のある露天湯&回廊巡りは、本泉ならではの醍醐味。時間の許す限り、たっぷりと堪能したい。
※温泉の詳細は、『PEAKS 2026年7月号(No.178)』まで。








山行&温泉data
コースデータ 霧ヶ峰(車山)
コース:車山肩駐車場~ころぼっくるひゅって~霧ヶ峰(車山)~車山乗越~蝶々深山分岐~蝶々深山~蝶々深山分岐~霧ヶ峰湿原植物群落~ころぼっくるひゅって~車山肩駐車場
コースタイム:約2時間
標高:1,925m
距離:約5.5km
下山後のおすすめの温泉 信州蓼科温泉「小斉の湯」
- 長野県茅野市北山4035蓼科温泉
- TEL.0266-67-2121
- 入浴時間(日帰り):9:00~20:00ころ
- 営業期間:無休
- 入浴料(日帰り):大人¥800/小人¥400(貸切の湯:通常入浴料+¥1,000<50分>)
- 泉質:単純硫黄泉
- アクセス:車山肩駐車場より車で約30分
- URL:http://www.kosainoyu.jp
記事・情報は
『PEAKS 2026年7月号(No.178)』の「下山後は湯ったりと」にて!
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PROFILE
PEAKS / 編集者・ライター
山本 晃市
山や自然、旅の専門出版社勤務、リバーガイド業などを経て、現在、フリーライター・エディター。アドベンチャースポーツやトレイルランニングに関わる雑誌・書籍に長らく関わってきたが、現在は一転。山頂をめざす“垂直志向”よりも、バスやロープウェイを使って標高を稼ぎ、山周辺の旅情も味わう“水平志向”の山行を楽しんでいる。頂上よりも超常現象(!?)、温泉&地元食酒に癒されるのんびり旅を好む。軽自動車にキャンプ道具を積み込み、高速道路を一切使わない日本全国“下道旅”を継続中。
山や自然、旅の専門出版社勤務、リバーガイド業などを経て、現在、フリーライター・エディター。アドベンチャースポーツやトレイルランニングに関わる雑誌・書籍に長らく関わってきたが、現在は一転。山頂をめざす“垂直志向”よりも、バスやロープウェイを使って標高を稼ぎ、山周辺の旅情も味わう“水平志向”の山行を楽しんでいる。頂上よりも超常現象(!?)、温泉&地元食酒に癒されるのんびり旅を好む。軽自動車にキャンプ道具を積み込み、高速道路を一切使わない日本全国“下道旅”を継続中。




















