
山小屋の暖炉を囲んですごした旅。雨音が運ぶメッセージ
宇宙HIKE
- 2026年10月28日
「雨は嫌いだ」
旅の拠点にしていた宿のママがそう呟きながら、薪がたくさん積まれた小道を歩いて行く。そのとき私は、雨音が響く日もそう悪くないじゃないかと思っていた。けれど、旅の終わりにその言葉の意味を知ることになる。
ふたたび、ヨーロッパ最後の秘境へ

「ジョージアに行く」と伝えると、決まってコーヒーの産地と間違われる。けれど私が向かったのはアメリカではなく、ヨーロッパとアジアの境界に位置する国、ジョージアだ。

ワイン発祥の地、歴史ある街並みで知られるこの国のなかでも、旅人たちが特別な憧れを抱いて目指す場所がある。それが、ロシアとの国境をなす険しいコーカサス山脈に抱かれた地、世俗から切り離されたかのように存在するスヴァネティ地方だ。

ここには、かつて外敵から身を守るために築かれた「スヴァンタワー」と呼ばれる石造りの塔が、空を突くように立ち並んでいる。そんな中世の情緒あふれる風景の中で、独自の言語と古くからの文化をいまも大切に守り継ぐスヴァン人たちが暮らしている。

私がふたたびこの地を踏んだのは、2年前に訪れたときにコーカサスの壮大な山々、そしてそこで出会ったスヴァン人たちの独特な魅力に心奪われ、「今度はもっと深く、あの人たちの営みに触れたい」と強く願ったからだった。前回は触れることのできなかった彼らの生き方を、もっと知りたい。
天空の湖のかたわらで

山旅のハイライトのひとつは、スヴァネティの中心地メスティアから急斜面をぐんぐんと登り、街がはるか下に遠のいた標高約2,700mに広がる「コルルディ湖」近くの山小屋に泊まることだった。
「コルルディ湖」は、前回日帰りで歩いたときからずっと、朝夕の時間をゆっくり眺めたいと夢見ていた場所だった。

晴れを願って一歩一歩登ったコルルディ湖の夕暮れは、絵に描いたような快晴とはいかなかった。けれど、立ち込めるガスが幻想的に湖面をぼかし、景色に幾重もの奥行きを与えている。

その刻一刻と表情を変える風景に魅せられ、私はただただ、ずっと眺めていた。


宿泊した山小屋には電気が通っていなかった。明かりは暖炉の火や、手元のライトだけ。頼りないのにその暗がりは、不思議な心地よさに変わっていく。
暖炉の火が灯す穏やかな夜

暖炉の火を囲み、山小屋のスヴァン人のホスト夫婦とすごす夜。2年前初めてジョージアを訪れたとき、スヴァン人たちのあまり笑わない気質に初めは少し戸惑いを覚えた。

けれど、彼らがジョージアの公用語ではなく自分たちの言語であるスヴァン語をとても大切にしていると知り、今回も覚えてきた唯一のスヴァン語で「イヴァスハリ(ありがとう)」を口にすると、場の空気がふっと緩んだ。彼らは「日本人はめったに来ない」と言いながらも、私の言う「ありがとう」という日本語を熱心に覚えてくれた。たったひと言の言葉だけで、互いの存在をこんなにも尊重し合えることに深く感動した。

ワインを飲み、薪がパチパチと爆ぜる音を聞くうちに、その緊張はゆっくりと溶けていく。

「人には、だれしもこんな時間をすごすことが大切なときもあるわ」
奥さんがそう言って薪をくべた。本当にエモーショナルな夜だった。よい旅になったなと思っていた矢先、予報を裏切って雨が降り始めた。
雨音が運んできたもの

薄暗い朝、外を見ると少し先も見えないほど真っ白で、雨の音が響いている。予定していたピークハイクは断念し、下山を決めた私たちは、日の光が届かない暗がりのなか、暖炉のそばでホスト夫婦と静かな朝の時間をすごした。言葉は少なくても、その背中や眼差しには確かな温もりがある。

ふもとのメスティアの街へ戻り、拠点にしていた宿のママに迎えられたとき、彼女はこう尋ねた。
「コルルディは雪だったかい?」
その瞬間、ある光景を思い出した。山を降りるとき、一瞬だけガスが取れて目の前に広がった山の姿。前日はなかった雪をまとった山頂を見上げた。

彼女が「雨は嫌いだ」と言っていたのは、気分の問題ではないようだ。この冷たい雨が、この地にこれから訪れる、約6カ月もの長い冬の始まりを告げるものなのだ。「冬には2mもの雪に閉ざされるんだよ」と聞いた通り、深い雪原とともに生きる過酷な季節が、もうすぐやってくる――。

2年前には見えなかったもの、触れられなかったもの――それを確かめたくてやってきたジョージアで、私はコーカサスの山に囲まれて暮らす人々の、誇りと優しさが宿る真っ直ぐな営みに触れた。

暖炉の灯りだけですごしたあの時間を思い出す。日本に帰ったいま、便利すぎる日常のなかに身を置きながらも、私の心はあの静かな山へと引き戻されてしまう。厳しい冬が来る前の、あの温かな記憶を胸に、まだ見ぬ銀世界のメスティアに思いが膨らんでいる。
写真&テキスト◎朝比奈 杏咲美(宇宙HIKE)
https://www.instagram.com/sami_yama.tab
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PROFILE
宇宙HIKE
Photographer 松本茜主催、山と写真のコミュニティー。 宇宙を旅するように山へ登り、旅や写真を使って「自分」にフォーカスする。 ユーモア溢れるメンバーが集まり、日々楽しみながらいろんなフィールドで活動を続けている。
Photographer 松本茜主催、山と写真のコミュニティー。 宇宙を旅するように山へ登り、旅や写真を使って「自分」にフォーカスする。 ユーモア溢れるメンバーが集まり、日々楽しみながらいろんなフィールドで活動を続けている。
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