
パラグライダーでK2に挑む理由。~世界最高峰の山岳フライトが拓く、新たな地平~|WILDERNESS[ウィルダネス]No.8
WILDERNESS 編集部
- 2026年02月27日
世界第2位の高峰・K2。その険しさで知られるこの頂に、パラグライダーで挑むアスリートがいる。クライミングとスキーとを駆使して攀り、滑り、そして空へ。江本悠滋の冒険は「安全」と「効率」に加え、「自由」という新しい登山観を提示するかのようだ。彼はなぜK2に挑み、飛ぶのか。そして、どのように8000mと向き合うのか。
文◉麻生弘毅
写真◉江本悠滋
モンブラン山頂での出会い
国際山岳ガイド 江本悠滋(えもとゆうじ) profile
1976年愛知県名古屋市生まれ。スキー店を営む両親のもと、幼少期からスキーに親しみ、その影響で高校1年の夏にフランスへ留学。スキー指導員、クライミングガイド、パラグライダー指導員におけるフランスの国家資格をもつ、唯一の日本人。クラウドファンディングに支えられ、2023年にはX-Alpsに出場し、2025年はK2のハイク&フライに挑戦
「その日はとても暖かく、Tシャツ一枚で山頂にいられるほどでした」
2012年8月19日。山岳ガイドである彼はゲストを率い、当時、年に30回ほど登っていたというモンブラン(4806m)を目指していた。いつものように未明の小屋をあとにし、氷河を越えて山頂へ。そうして慣れ親しんだヨーロッパ最高峰、その静寂を大きな翼が切り裂いた。
「上昇気流に乗って麓から飛び上がり、山頂へ降り立ったパラグライダーたちでした」
それは、10人ほどのパイロットがパラグライダーによってモンブラン山頂に降り立つ瞬間だった。
オリンピック出場を志したスキー少年がフランスへ渡ったのは1992年、16歳の夏。10代の終わりに選手生命を絶たれるような大怪我を負ったものの、めげることなく山の世界へ進んでいく。フランス国立スキー登山学校に入学し、世界でもっとも難しいとされる山岳ガイド資格「ENSA」を当時の最年少で取得。いまなおこの資格を持つ日本人は彼ひとりである。プロガイドとなってからは日本とフランスを拠点に、唯一無二の存在感を誇っている。
「モンブランという特別な場所を案内できるのは、自分たちだけだと思っていました。そんな誇りある場所で、自分にできないことをしている……。そのショックがきっかけで、パラグライダーをやってみようと思ったんです」
バックカントリースキーとクライミングの世界を自在に行き来し、既成概念に囚われないガイディングを展開する江本悠滋。そんな彼をさらに大きな世界へ押し上げたのが、この日の出会いだった。
登山とパラグライダーの歴史は1970年代に遡る。1979年にはフランス人登山家ジャン=マルク・ボワヴァンがK2の7600m地点から、1988年にはエベレスト南東稜から、また日本人では1987年に高橋和幸がチョ・オユー(8201m)山頂からパラグライダーで飛び、当時の世界最高記録を樹立している。
「その後もパラグライダーは進化し、軽量化したモデルで高所から飛び立つだけでなく、モンブランのように上昇気流をとらえて山頂に降り立ったり、山頂を越えて飛行するトップアウトを行なうことも可能になっています」
江本自身、当時からパラグライダーに注目してはいたものの、夏はヨーロッパでのクライミング、冬は日本でのバックカントリーガイドに専念し、自身のクライミングにも力を注いでいたため、新しい領域に踏み出す余裕はなかった。
「とくにクライミングでは5.14クラスを登り、ジムの経営も始めるなど、入れこんでいました。ただ、日本にいる秋冬の短いシーズンだけで、それ以上能力を伸ばすことには限界を感じていたんです」
そんな折、スキー事故で靱帯を断裂。滑ることも登ることもできなくなってしまう。しかし、10代の怪我で人生の舵を切り替えた経験をもつ彼は、今回も前を向く。
「その怪我を、神様がくれた新しいチャンスだと理解しました」
操縦ならできるはず。そう考えた雪と岩に通じたスペシャリストは、新たな世界へ踏み出した。
「空を飛び、下山する」新たなスタイルの合理性
「パラグライダーを始めるにあたり、ひとつの目標がありました。それがX-Alpsへの出場です」
X-Alpsとは、ヨーロッパアルプスを舞台に10日間で5ヵ国・約1800kmをパラグライダーで駆け抜けるアドベンチャーレース。2003年の初開催以来、世界中のトップパイロット約30名が参戦し、2011年大会の完走者はわずか2名という、常軌を逸した過酷さで知られる。
「地形や風を読んで飛ぶだけでなく、悪天候で飛べないときは、次の最適な離陸ポイントまで走り、登って移動する。飛行技術だけでなく、クライミング能力や体力など野外での総合力が問われるんです」
37歳にして翼を手にした江本は、不断の努力によりフランスのパラグライダー国家資格インストラクターを取得。そして挑戦9年目となる2023年大会で日本代表として出場し、さらには完走を果たした。
「ハイク&フライのレースで使うパラグライダーは装備一式で6kgほど、1回の飛行で300kmほど飛べる性能があります。一方、山頂から飛び降りて麓へ戻る下山用のパラグライダーは、わずか1kgほどです」

つまりパラグライダーは、空を飛ぶための道具であると同時に、安全かつ迅速に下山するための合理的な装備として、ヨーロッパのクライマーに広く浸透しているのだ。
「たとえばグランドジョラス北壁を登る場合、従来は入山後に氷河を5時間歩いてビバーク小屋で1日目の夜をすごし、翌朝に登攀して夕暮れに山頂へ着き、2日目の夜をピークで迎える。さらに翌朝イタリア側へ下山し、そこからフランス側へと戻る。つまりトータルで3~4日かかる行程でした。ところがいまは、夕方にエギーユ・デュ・ミディ行きのロープウェイで上がり、パラグライダーで北壁の麓に飛び、登って、暗くなる前に山頂から飛べば、すぐにシャモニへ戻ることができる。そんな24時間行動をするクライマーが増えています」
驚くべきは、それが最先端の一握りのアスリートだけの話ではないことだ。軽量化された装備によって、かつては山中泊を要した行程を1日でこなす──日本でも浸透した「ライト&ファスト」スタイルの延長線上に、ヨーロッパにおけるパラグライダーがある。
「この10月にモンブランに登ったのですが、山頂にいた20人のうち16人がパラグライダーで飛び立ちました」
そう語る江本は、こちらの驚きを見越したように微笑む。
では、モンブランから安全に飛び立つための技術習得は、どれほどの訓練が必要なのか。
「初心者は5日ほどのカリキュラムを受けますが、3日目にはひとりで飛んでもらいます」
無線で指示は出すものの、操縦は本人のみ。10本ほど飛べれば、風や雪の状況しだいで山頂から飛び立つ準備は整うという。
「もちろんテイクオフもサポートしますし、自分もあとから飛んで寄り添い、状況を伝えます。あとは壁にぶつからないようにするだけで安全に着陸できます。そうして1週間ほど飛んだら、自分のパラグライダーを買う人も多いですよ」
風のなかでの準備は難しいが、数歩踏み出すだけで迅速に下山できるパラグライダーは、ロープ以上に合理的な道具という。
「懸垂下降も不要だし、落石の恐怖もない。8000mの山頂からでも30分ほどで安全圏に降りられる。疲労と危険を伴う下山が、パラグライダーを使うことでいちばん楽しい時間に変わるんです」

(続きは本誌にてお楽しみください)
※この記事は「PEAKS 2026年2月号増刊 WILDERNESS No.8」からの転載であり、記載の内容は誌面掲載時のままとなっております。
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WILDERNESS 編集部
知的好奇心旺盛なアウトドア好きを、さらなる冒険の世界へ誘うメディア。国内外の秘境や圧倒的な自然現象を取材した多彩なルポで掘り下げ、好奇心と行動を刺激する内容で奥深き自然を旅する魅力を伝えます。
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