
イタリア・オルコ渓谷、ロカーナ村での最後の夜の思い出|筆とまなざし#441
成瀬洋平
- 2025年11月12日
トラットリア・アルピで顔なじみの人たちと飲む、お別れの夜
イタリアから帰国して2週間が経った。思い出深いエピソードをひとつ。
帰国日前日の夜、トラットリア・アルピに顔を出した。アルピに行けば、たいがい顔なじみの村人が飲みに来ているはずだ。お別れの挨拶も兼ねて、みんなと飲みたいと思った。
帰るころになるとロカーナ村はすっかり寒くなっていた。夏には路地に出されたテーブルもいまはなく、アルピの女主人イナはマフラー姿で忙しなく立ち振る舞っていた。文房具屋のコンティ、水道屋のおじさん。案の定、何人かの顔見知りがワインを飲んでいた。
「明日日本に帰るんですよ」
イナとコンティにジェスチャー混じりでそう伝えた。ロカーナにはイタリア語しか話さない人も多い。ふたりもそうなのだが、今回はGoogle翻訳片手にいろいろな会話ができたことも旅の楽しい思い出となった。
ややあって、グラチアーノが奥さんと息子ふたりを連れて来てくれた。最初にオルコへ来たときに知り合ったグラチアーノ。「Green spit」の初登者ロベルト・ペルッカの話を何度もしてくれた。最近は忙しくて飲みに行く時間もないようだったが、わざわざお別れに来てくれたのだった。19歳になる長男が最近クライミングを始めたそうで、次にオルコへ来たときにはいっしょに登ろうと約束をした。お土産に「グリフォン」というキノコを渡してくれた。北イタリアといえばポルチーニが有名だが、それよりも珍しいきのこらしい。一年前に採ったもので、保存のためにオリーブオイルと酢で漬けてある。
しばらくすると、ピエール・ジョルジョが奥さんといっしょにやってきた。彼もまた初めてオルコに来たときに知り合い、村で顔を合わせては「いっしょに飲もうよ!」と声をかけてくれる気さくなダンディ。ちょび髭がトレードマークで、スーパーマリオの背を高くしたような風貌である。お土産にとロカーナ産のハチミツを二瓶も持ってきてくれた。
突如始まる大合唱の贈りもの
ひとしきりワインを飲んだところで、ピエール・ジョルジョが言った。
「いまからみんなで歌うから聴いてくれ!」
おもむろに合唱がはじまった。するとどうだろう。これまでただの酒好きなおっちゃんとしか思っていなかった人たちが、びっくりするくらいの歌唱力で歌を歌っている。すばらしく重厚感のある歌声。狭い店内に圧倒的な大合唱が響き渡る。きっと伝統的な歌なのだろう。そのメロディーには懐かしささえ感じられる。鳥肌が立ち、胸が熱くなった。この土地の人々の文化性の高さに圧倒された。
「ブラボー!! すごい!!」
「さあ、今度は日本の歌を歌ってくれ!」
ピエール・ジョルジョに咄嗟にそう言われて一瞬怯んだが、このお礼は歌で返すしかあるまい。すぐに思い浮かんだのが童謡「ふるさと」。いわずもがな、とても人様にお聞かせできるものではないけれど……一生懸命歌ったことは伝わったようで、みんなとても喜んでくれたのだった。
4年前に初めてロカーナを訪れてから、ぼくもみんなも4つ歳を取った。毎年訪れるわけにはいかないけれど、こんなふうに、これからもずっと、お互いに少しずつ歳を重ねていけたらと思う。そしていつの日にか、この村で小さな展覧会を開くことが、ぼくのちょっとした夢である。
著者:ライター・絵描き・クライマー/成瀬洋平
1982年岐阜県生まれ、在住。 山やクライミングでのできごとを絵や文章で表現することをライフワークとする。自作したアトリエ小屋で制作に取り組みながら、地元の岩場に通い、各地へクライミングトリップに出かけるのが楽しみ。日本山岳ガイド協会認定フリークライミングインストラクターでもあり、クライミング講習会も行なっている。

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