
サドル・ハンドル・ペダルを合わせるだけでは足りない。「重心」を設計するビスポークの世界
Bicycle Club編集部
- 2026年09月22日
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ハイエンドカーボンロードが100万円を優に超え、納期も1年待ちが珍しくなくなった現代の自転車界。そんな時代において、あえてビルダーが一人ひとりのためにパイプを切り出し、火を入れる「ハンドメイドバイク」を作り続ける意味とは何なのか?
日本のフレームビルディング界を牽引するCHERUBIM(ケルビム)の今野真一氏と、精緻なチタンやスチールフレームで世界から熱い視線を集めるEquilibrium Cycleworks(エクイリブリウム サイクルワークス)のVladimirs Balahovskis(ウラジミールス・バラホブスキス、通称ブラッド)氏。現代を代表する2人のトップビルダーが、ハンドメイドの真意、ジオメトリーの深淵、そして価格のリアルについて語り尽くした。
「ハンドメイド」という誤解。「ビスポーク」と呼ぶべき理由

9月19日、銀座・有楽町の阪急メンズ東京5階ビスポークサロンでBiCYCLE CLUB 11月号発売記念「ケルビム&エクイリブリウム 不滅のハンドメイドを語る」が開催された。登壇したのはCHERUBIM(ケルビム)の今野真一氏とEquilibrium Cycleworks(エクイリブリウム サイクルワークス)のブラッド氏。そして実際にフレーム制作を体験した副編集長の西山がMCを務めた。ここではそのトークショーの内容を紹介する。

編集部・西山(以下、西山):今日をときめくお二人のトップビルダーにお越しいただきました。あえて今の時代に「ハンドメイド自転車」を作り続けている理由、なぜハンドメイドなのかという核心から伺いたいと思います。まず今野さんからお願いします。
今野真一(以下、今野):ハンドメイドという言葉って、すごく色々な意味で使われますよね。器や包丁の世界でも「手作りの味があっていいね」と言われる。僕らの自転車も同じ文脈で見られがちなんですが、僕自身は「手作業で作っていること」自体にそこまで価値を置いているわけではないんです。
手作りと量産品、どちらが優れているかは一概には言えません。ものづくりという観点で言えば、職人が「一個一個形が違ってそれがいい」と言われるのは、実はビルダーとしてはちょっと心外なんですよ(笑)。毎回図面を引いて作っていますが、精度という意味では違わないように作っているわけですから。
西山:「手作りの味」を求めて作っているわけではない、と。
今野:そうです。「器用なおじさんがコツコツ手作りしている工芸品」というイメージを持たれがちですが、その誤解は解きたい。僕が手作りで実現している最大のものは、あくまで「性能」なんです。
自転車の性能って、パイプの銘柄や軽さなど色々ありますが、最も大事なのは「人に合わせる」こと。ライダーの身体と走りに寄り添ってフレームをチューニングする——これが最大の性能であり、量産では絶対に実現できない部分です。
工作の美しさで言えば、ブラッドさんを見ていても最新の3Dプリンターなどをどんどん採り入れている。大事なのは手先の手作業感ではなくて、お客さんと対面して身体と用途にアジャストさせること。だから「ハンドメイド自転車」と言うより、仕立て服を意味する「ビスポーク自転車」と言ったほうが本質に近い気がしています。
西山:ブラッドさんはどうお考えですか? オーナーに合わせて作ることの意味について。
ウラジミールス バラホブスキス(以下、ブラッドさん):今野さんの言う通りですね。中国や台湾のビッグファクトリーだって、カーボンフレームを積層するのは全部人の手作業だから、ある意味「ハンドメイド」なんです。台湾の工場は効率もクオリティも信じられないくらい高い。
その中で僕たちがやっている意味は、もっとパーソナルなコミュニケーションにあります。一人ひとりの乗り味の好み、見た目の美意識、身体のクセにどこまでアジャストできるか。
大手メーカーのカーボンロードは基本的に「レースで速く走るプロ」を基準に作られています。でも、うちに来るお客さんはレースで勝ちたい人ばかりじゃない。普通の車に乗っている人に、いきなりF1マシンを渡しても誰も乗りこなせないですよね? それと同じです。
今野:まさにそうですね。
ブラッド:体格も、手足の長さも、筋力のバランスもアジア人とヨーロッパ人では全然違う。レディメイド(吊るし)のフレームが全員に完璧に合うわけがないんです。私の目的は、レースで速い・遅いに関係なく、その人が生涯で「最も楽しく、安全で、最高のサイクリング体験」ができる自転車を届けること。だからビスポークが必要なんです。
ポジション調整の先にある「重心設計」という領域

西山:ジオメトリー(フレーム寸法)についてもお聞きしたいです。お二人はオーナーに合わせてパイプのチョイスや寸法をどう変えているのでしょうか?
ブラッド:私はできる限り自分でフィッティングを行って、ゼロからジオメトリーを決めます。100人フィッティングしたら、100人とも一番心地いい身体の使い方が違いますから。後ろにどっしり荷重を乗せて踏みたい人もいれば、コンパクトな姿勢で楽に回したい人もいる。
西山:今野さんも、ビスポークにおけるジオメトリーの重要性はやはり大きいですか?
今野:性能の半分以上はジオメトリーですね。残りが剛性感(パイプの硬さ)です。
一般的に「ポジション出し」と言うと、サドル、ペダル、ハンドルの「3点の位置関係」を合わせることだと思われていますよね。でも、市販の完成車を買った場合、いじれるのはその3点しかないんですよ。サドルを上げ下げして、前後位置をずらして、ステム長を変える。それしかできない。
僕らビルダーがやっているのは、その先にある「重心」の設計です。
西山:重心の設計、ですか。
今野:はい。そのライダーがバイクのどこに体重を預けているのか。前荷重の配分、フロントセンターの長さ、それに伴うハンドリング特性、さらにはBBハイト(ボトムブラケットの高さ=車体全体の重心の高さ)。これらをすべてライダーに合わせてミリ単位で図面を引いています。
この話は、マスプロメーカーからは絶対に出てきません。なぜなら、量産カーボンフレームではユーザーごとに重心位置を変えることなんて不可能だからです。話す意味がないから語られない。クロモリ全盛期は雑誌でもジオメトリーと重心の話で盛り上がっていたんですが、カーボン全盛になってからその文化が途絶えてしまった。僕らはその失われた、でも自転車にとって最も本質的な部分を当たり前に設計しているんです。
西山:まさにそこが、「ハンドメイドビルダーたる所以」なんですね。
今野:そうなんです。ただ、現代のビルダーにとって難しいのは「パーツの規格」ですよね。ブラッドさんもカーボンフォークを使っていると思いますが。
ブラッド:本当にそうですね。フォークの選択肢は限られています。
今野:今はフロントフォークの多くが市販のカーボンフォークを使わざるを得ない。そうするとオフセットや肩下寸法が2〜3種類に限定されてしまう。小柄なライダーにとっては700Cホイールすら本来は大きすぎる場合があるんですが、パーツ側の制約がある中で、いかに理想のジオメトリーに落とし込むか。毎日頭を抱えながら図面を引いています(笑)。
ディスクブレーキ、フル内装……進化するトレンドとの対峙

西山:お互いのブランドや工房を見ていて、「ここはどうやって作っているんだろう?」と気になるところはありますか?
今野:僕はよくブラッドさんの工房に遊びに行かせてもらって、色々見せてもらっていますよ。ヘッドチューブのブラスト加工とか、本当に綺麗だなと感心します。
西山:ブラッドさんはご自身の技術について、「ここがすごいぞ」というこだわりはありますか?
ブラッド:「当たり前です」と言いたいところですが(笑)、自分自身で当たり前だと思ったことは一度もないですね。そう思ったらもうそこでおしまいで、次が作れなくなってしまう。100%満足したことはないです。それが自分を苦しめる性格でもあるんですが。
工房を立ち上げた当初は、エアコンもない真夏の工場でマスクをして、3ヶ月間、1日10時間ひたすら溶接の練習だけを繰り返しました。お客さんのオーダーには触らず、ちゃんと納得できるまで怖くて寝られなかった。その積み重ねです。
13年前に工房を始めた頃はリムブレーキが当たり前でしたが、今はディスクブレーキとフル内装が主流です。最新のトレンドを取り入れつつ、本当に良いものを作っていきたいと思っています。
西山:今野さんも、新しい規格は積極的に取り入れていくスタンスですか?
今野:そうですね。自転車は僕らだけで完結するものではなく、タイヤやコンポーネントといった周辺パーツと一緒に進化していくものなので、そこは常に協調していかなければいけません。
ただ、日本でオーダーメイドでディスクブレーキや最新内装にハイレベルで対応できる工房って、実はブラッドさんのところを含めて片手で数えるほどしかありません。
今のマスプロのカーボンフレームは太くて存在感がありますが、ブラッドさんのフレームはそれに並べても引けを取らないオーラがある。金属フレームでその圧倒的な存在感を出せるビルダーは、世界的に見ても貴重な存在だと思います。

フレーム100万円超は「高い」のか?

西山:今回展示されている最上級モデルだと、フレーム単体でおいくらくらいになるのでしょうか?
ブラッド:うちのトップモデルで、フレームセット130万〜135万円ほどですね。
今野:うち(ケルビム)も同じくらいです。100万円は超えてきますね。
西山:「100万円超」と聞くと驚く方もいるかもしれませんが、既製のハイエンドとビスポークが、同じ選択肢の土俵に上がってきた印象があります。そのあたりはどう見ていますか?
今野:今の量産メーカーのトップグレードもフレームだけで80万〜100万円、完成車で200万円を超える時代ですから、むしろ僕らのほうが安く見えてくる逆転現象すら起きています。
価格だけでなく、納期という意味でもメーカー品が平気で1年待ちになったりしている。それなら、最初から自分に合わせて作ってくれるビスポークを半年待ったほうがいい、と考えるお客様が増えてきました。やっと同じ土俵で比較してもらえるようになったと感じています。
ブラッド:私は世界基準で価格を設定しています。安くしすぎるのは、ものづくりの世界にとって良くない。「安い=クオリティが低いのでは」と思われてしまいますし、物の価値は適正な価格に反映されるべきです。
例えば、ビスポークの高級紳士靴は、既製品の3倍以上の価格がしますよね。でも自転車の場合、僕らが使うチタンパイプやカーボンフォークなどの原材料費は、量産メーカーの仕入れ値よりはるかに高い。それを考えたら、むしろお買い得なくらいです。
西山:1人のビルダーが背負う仕事量を考えると、納得のいく話ですね。
ブラッド:採寸、フィッティング、図面作成、材料の手配、切削、溶接、仕上げ、組み立て……それにプロモーションや海外輸送の手配まで、本来なら5人分の給料をもらわなければ割に合わないくらいの仕事量です。
さらに言えば、納車した後も「何年先までその人の命を預かるか」という安全への責任がある。1本のフレームにかける時間、技術、そして責任の重さを全部計算に入れたら、本当は今の倍の金額をいただいても足りないくらいなんです。
10年後の未来、ハンドメイドが目指す場所

西山:最後にまとめとして、お二人が見据える「10年後のビジョン」について聞かせてください。
今野:今のロードバイク市場は、どうしても「カーボンの量産車」が一強で、選択肢がそれ一択になりがちです。でもこれからは、その中に「オーダーメイド自転車」という選択肢がもっと当たり前に、高い割合で入ってくる世界にしたい。週末のロングライドはもちろん、レースの現場でも僕らの自転車が普通に活躍している。そんな未来を10年後には作っていたいです。
西山:ブラッドさんは、10年後のビジョンをどう描いていますか?
ブラッド:いや、私はあんまりそういう先のことは考えないですね(笑)。目の前の一台一台に全力を尽くして、走り抜けるだけです。
あとは……田舎にもっと広いベース(工房)を作って、自分自身が走ることを楽しみたいですね。今はどうしても製作とビジネスに追われてしまうので、10年後はもっと「走る楽しさ」と「作る仕事」のバランスを自転車側に傾けられたら最高です。
西山:お二人とも、本音の詰まった貴重なお話を本当にありがとうございました!
BiCYCLE CLUB 11月号「ハンドメイド自転車」

cover photo Takehisa Goto cover design Rie Kaneko
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