
1ユーロ190円のリアル 15歳サイクリストが「トビタテ!」で挑んだオランダ・ベルギー遠征録
Bicycle Club編集部
- 2026年09月30日
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「海外で走ってみたい」。そう考える若きサイクリストは少なくない。しかし実際にヨーロッパへ渡り、自ら生活し、本場のレース文化を体験する機会は決して多くない。この夏、文部科学省と独立行政法人日本学生支援機構が共同で展開する留学促進キャンペーン「トビタテ!留学JAPAN」の主な取り組みである奨学金制度「トビタテ!留学JAPAN 新・日本代表プログラム」を活用し、オランダとベルギーへ渡った高校1年生の小田島寛奈選手。15歳が直面した円安の現実、言葉の壁、そしてレース結果以上の「学び」にあふれた約1カ月間の現地ルポルタージュをお届けする。
※本記事は、制度の全体像や応募法を解説した前編記事の続編(現地ルポ・体験談編)です
先輩の一言から始まった「トビタテ!」への挑戦


事の始まりは、昨年冬のシクロクロス会場だった。
茨城県で開催された取手のシクロクロスに体験参加した小田島選手は、そこで山田駿太郎選手や石川七海選手といった先輩サイクリストから「トビタテっていうのがあるよ」と教えられた。普段はトライアスロンやロードレースを中心に活動している小田島選手だが、異なる競技会場での何気ない交流が、世界へと続く扉を開くきっかけとなったのだ。

「海外でロードレースを経験したい」。その思いを胸に、自ら制度について調べ、両親に相談して応募を決意した。しかし、トビタテの選考は決して簡単ではない。自らテーマを設定しての留学計画書の作成、事前面接、さらには採択後の研修や発表準備と、越えるべきハードルはいくつもあった。
特に高校生の場合、学校との連携が不可欠となる。今回の留学でも、申請書類や各種手続き、事務局との調整は基本的に学校を通じて行われた。「学校と事務局とのやり取りがあって、こちらで修正してまた提出して……という作業の繰り返しでした」と保護者が振り返るように、本人だけの熱意だけでなく、家族と学校が一体となったサポート体制があってこそのスタートラインだった。
本場のロードレース文化のど真ん中へ
今回の留学テーマは「ロードレース」。自転車競技の中心地であるオランダとベルギーに滞在した約1カ月間、小田島選手はトレーニングレースを含めて5つのレースに参戦した。


ジュニアカテゴリーのロードレースに身を投じる中で、彼女はヨーロッパ特有の集団走行の激しさや、選手層の圧倒的な厚さを痛感した。しかし、本場の凄みを感じたのは自分が走るレースの中だけではなかった。
「ツール・ド・フランスで優勝した選手たちのレースを見に行きました」
当初は自身も出場を予定していたクリテリウムレース。しかし、出場メンバーのレベルが想像以上に高く、今回は観戦に回ることになった。驚くべきは、それが世界選手権やツール・ド・フランスのような超トップカテゴリーのレースではなく、地域の人々がビール片手に集まる「地元の興行レース」だったことだ。そこに、ツール・ド・フランス優勝経験者が当たり前のように出場し、地元ファンを沸かせている。
「見ているだけでもすごかったです」と振り返る小田島選手。ロードレースが特別なイベントではなく、日常の生活や文化の中に深く根付いているヨーロッパならではの光景を、彼女は確かにその目に焼き付けた。
競技以外の学び。「一番楽しかったのは国立美術館」
競技中心のストイックな遠征だったのかと思いきや、小田島選手から返ってきたのは意外な言葉だった。
「国立美術館がめっちゃ楽しかったです」



彼女が滞在中に2度も足を運んだのが、オランダが誇るアムステルダム国立美術館だ。「1回じゃ全部見切れなかったです」と興奮気味に語るように、世界的名画や壮大な建築に直接触れた時間は、レースと同じくらい強烈なインスピレーションを与えてくれた。
アムステルダムの街を歩き、買い物を楽しみ、美術館のお土産や洋服を選ぶ。自転車の上だけでは得られない文化的な刺激や異国での日常体験もまた、「留学」という形だからこそ得られた大切な学びだった。
言葉の壁と、1ユーロ190円のプレッシャー
自転車大国オランダとベルギーだが、日本人サイクリストにとっては「言語」と「物価」という2つの大きな壁が存在する。
小田島選手が滞在した地域はフラマン語(オランダ語)圏。日常生活や移動において「英語で話さなきゃいけなかったのが大変でした」と振り返る。幸運だったのは、現地で出会った選手が休暇で訪れていたカナダ人だったことだ。彼女とは英語でコミュニケーションを取ることができた。「たまたまカナダ人だったので英語で話せました」と笑うが、相手が地元選手のみであれば、さらに苦労していたはずだ。レース会場に一歩入れば自転車が共通言語になるが、移動や生活ではそうはいかない。自分の意思を必死に伝えるサバイバル経験は、確実に彼女を逞しくした。

そして、何よりも彼女を悩ませたのが「1ユーロ190円」という歴史的な円安の現実だ。
「マックでも高かったです」と語るように、ファストフードでさえ日本とは比較にならない出費となる。そのため、食生活は「基本は自分で作ってました」と自炊が中心。疲労困憊の日はサポートしてくれる大人に頼ることもあったが、日々の体調管理と生活費のコントロールは自分で行った。
利用していたデビットカードは、支払いをするたびに日本の父親のスマートフォンへ通知が飛ぶ仕組み。「日本円に換算すると予想以上の金額になることも多くて、なかなかのプレッシャーでした(笑)」と本音をこぼす。為替レートを気にしながらスーパーで食材を選び、限られた予算でコンディションを整える。それはプロ選手への階段を登るための、立派な模擬体験でもあった。
奨学金のリアルと、家族・学校との二人三脚
「トビタテ!留学JAPAN 新・日本代表プログラム」は返済不要の奨学金制度として知られているが、実際の海外遠征のすべてがそれだけで賄えるわけではない。
小田島家のケースでは、今回のオランダ・ベルギー遠征は航空券と滞在費だけでも概算で約100万円。それに加え、日々の食費や現地交通費、お土産代、個人的な外出費用などが発生する。小田島選手の保護者によると、奨学金額は家庭の課税状況によって異なり、月額でおよそ6万円から16万円程度。また留学準備金は派遣先によって異なり、ヨーロッパ圏では約35万円が支給されるという。

注意すべきは「出発前にまとまったお金がポンと振り込まれるわけではない」という点だ。各種手続きや研修をこなし、帰国後に報告書などの最終成果物を提出して初めて支給される仕組みだという。帰国から約1カ月が経過した取材時点でも、小田島選手は「レポートを今週中に出さないといけないんですよ。まだ終わってないんですけど……」と苦笑い。保護者も「なんなら、このままもらえないんじゃないの? って不安になるくらいです(笑)」と冗談交じりに語る。
決して「採択されて終わり」ではない。本人、家族、学校が協力して準備し、帰国後も得た経験を社会へ発信し続ける。それも含めての「トビタテ」なのだ。
自分で考え、生きる力を育む。先輩たちが感じたトビタテの意義

小田島選手にトビタテを勧めた石川七海選手も、高校1年時にオランダ留学を経験した一人だ。ナショナルチームとしての派遣とトビタテの違いについて、彼女はこう語る。
「トビタテは全部自分で決めていくんです。何をしたいか、自分で考えて決めないといけない。英語も自分で考えながら話さなきゃいけないし、自分の力で生きていく感じでした」
さらに「日本と価値観が全然違って、世界が広がった感じがしました」とその衝撃を振り返る。また、同じくトビタテ経験者の野嵜然新選手も「予算がなくて大変なんです、という説明を面接でめっちゃしました」と、学生アスリートが直面する資金の壁と、それを乗り越えるための熱意の重要性を語っている。与えられるのを待つのではなく、自らの言葉で道を切り拓く力が求められるのだ。
レース結果以上に価値のある、1カ月が残したもの

今回の取材で最も印象的だったのは、小田島選手が「レースのリザルト」ばかりを語らなかったことだ。
アムステルダムの美術館で心を動かされたこと。慣れない英語で行き先を尋ねたこと。1ユーロ190円の重みを感じながらスーパーで買い物したこと。ツール覇者の走りを目の当たりにしたこと。そして、自らの手で日々の生活を組み立てたこと。
ロードレースの本場へ行くということは、単にゼッケンをつけて走ることだけを意味しない。異なる文化の中で暮らし、自分の頭で考え、行動し、視野を広げること。そのすべてが「留学」なのだ。
高校1年生の小田島寛奈選手にとって、オランダとベルギーで過ごしたこの1カ月は、競技人生はもちろん、その先の人生においてもかけがえのない財産となったはずだ。今回の留学は決してゴールではない。ここで得た経験という名の種が、これからどんな花を咲かせるのか。15歳の新たなストーリーは、まだ始まったばかりだ。
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- CREDIT :
- 文:井上和隆
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